「蜂の巣にキス」ジョナサン・キャロル(浅羽莢子訳・創元推理文庫) | 水の中。

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クレインズ・ヴューという町には、とりたてて思い出はない。
古きよき50年代のアメリカ。悪ぶっていても罪のない悪友と、憧れの女の子。
平凡で平和な毎日だった。

川で見つけたポーリーン・オストローヴァの死体以外は――


                         


ジョナサン・キャロルは凄い作家だな、と思う。

何が凄いって、こんなふうに愛と皮肉と苦痛と優しさに満ちた日常を書けるひとを他に知らない。
なので、長いこと不思議に思っていたのです。

こんなドラマに満ちた「日常」を書くことができるのに、なんでまたイキナリ異世界にとんでしまったり、犬がしゃべりだしたり、おとぎ話から使者が来なくちゃいけないのだろうかと。

最初に評価された「ダークファンタジー路線」をキープしているだけのことなのか、
シビアすぎる視点の持ち主にとって、カタルシスは日常の外にしか存在しないのか。
おそらく、これはどちらか片方が答えなのではなく、どちらでもあるのだろうと思います。


ところが、9年ぶり(!)に日本での刊行となった本作、なんと驚いたことに、これが普通の――スランプに陥った作家が幼いころに出会った殺人事件のことを思い出し、生まれ育った町へと戻り、過去をたどりながら謎を追うという――超自然的な現象は何も起こらない「ふつうの」ミステリ。

キャロル作品の中では、かなりの異色作です。

超常現象(?)の起こらない、ジョナサン・キャロルのふつうの小説が読みたいなあと思っていたものですが、これは……。
脱ダークファンタジーは結構なのですが、謎を追うミステリ形式をとったことで、かえって平凡な物語となってしまったような。


ミステリというのは、事件が起きて(起)→犯人くさいアヤシイ人物がウロウロして(承)→でも真犯人は他にいたりして(転)→謎が解決アーンド主人公の問題も解決してスッキリ(結)
のような、動かしがたい流れがあるのです。
それに沿うように人物を配置したり、セリフを言わせたりするわけで、普通であれば「伏線を張る」というテクニックとして誉められるべき部分のはずなのですが……キャロル作品に限っては「そうではない」と思うのです。


この作者の魅力は何かと言えば、人生に対する深い洞察と、それを物語る力。
これが、ずばぬけて高い。スポーツ界でいうところの、十年に一度の選手とでも言えばいいのでしょうか。


なんでもない日常も、この人が書くと物語になる。


何もわざわざ、犯人さがしの物語を書かなくても……と、作品そのものより、「何故そういうものを書いたのか」が気になってしまうという、珍しい読書体験でした。


というわけで、作品そのものレビューにはなりませんでしたが、巻末の解説に書かれていたように、何故か「日本では売れない」というキャロル作品。
この作品もかなり出版元に寝かされていたらしく、今後の出版も未定のようで、こうして相変わらず素晴らしい翻訳(浅羽訳はさいこうですね~)で読めただけでも幸せ、という気もします。