雪の夜とタダタケとサンバと(その4)
腕時計は次の日に無事、文化会館のロッカーの上から回収しました。
さて、今回この「雪の夜の集い」というステージに参加して一番の収穫だったことは、 仕事と子育てに忙殺されて全く歌えなかった5年間と、子育てが少し楽になって、ようやく歌えるようになった2年間の間、ずっと考え続けていたひとつの問い
「そもそも、音楽とはなんなのか?」
という問いに、ひとつの答えが出たことじゃなかったかと思います。
もともと、この「雪の夜の集い」とは、紋別のような田舎には待っていても音楽のコンサートはやって来ないから、自分達でステージをつくりましょう、というのがそもそもの誕生の動機だったと聞いています。
で、「音楽」とは本来そういうものなんじゃないかと思うんです。
まず、身近な人に楽しんでもらうために自分でやる。
これが基本なんじゃないかと。
例えば、合唱に関していえば、楽しむために合唱をする人が出てきて、そのステージを、身近な人々が待ち望む。
それが本来、合唱のあるべき姿なんじゃないかと思うんです。
合唱が衰退している原因は、古いやりかたにしがみついて新しいものを吸収できない体質と、コンクールで良い成績を残せる団が良い合唱団だと誤解されていることだと、個人的には思っているんですが、一度、そんなことを全部ちゃらにして、まず合唱は楽しいから歌ってみよう、聴いてみようということにならないと、そして、そうなるためにはどうしていけばいいのかを、僕等合唱にたずさわる一人一人が本気で考えていかないと、「合唱団?そういや昔そんなものもあったねぇ」などということになりかねないと、本気で心配しているのですが。
僕等が今回のステージで歌った多田武彦の名曲、合唱組曲「柳河風俗詩」の4曲目「梅雨の晴れ間」。
農作業のあい間のひとときに、他でもない自分達が楽しむため、よそから一座を呼ぶのではなく自分達で歌舞伎を演じる、いわゆる「村歌舞伎」の一日をむかえた村の、浮き立つような雰囲気を表した歌なのですが、僕等がこの日この曲を歌ったことは、なにやら偶然以上のものが感じられてなりません。
(おしまい)