人と仲良くなるためではなく、弱点や使える情報を見つけて利用しようと「仲良くなりたいフリ」する輩がいる。フレネミーともいう。貴方は出くわしたことがあるだろうか。私は被害を受けたものの、その影響が決定的になる前に逃げたり助けられたりしてここまで何とか生きながらえている。

 

この存在と実体には、被害にあわないとなかなか気がつけないもの。なぜなら私たちは大抵、子供の頃に教わった、「誰とでも仲良くしましょう」という道徳が潜在意識に刷り込まれており、人を疑うという意識が薄いものだから。でも、「誰とでも仲良くしようとすること」は時に恐ろしく、自分を敵に晒した挙句、致命傷を負う結果ともなる。つまり悪い人もいるこの世界を、自分の身を守りつつ生きていくには適切な教えとはいいがたいと言える。

 

後ろ側で悪い評判をたて、「○○さんが貴方のことをこう言ってたよ」と仲違いさせるようなことを吹聴し、孤立させる。あるいは「貴方は××だという噂がある」と身に覚えのないことで精神的に追いつめる。周りの人を上手く操作して囲い込む術とその執念はたいしたものだと関心させられる。

 

心身疲弊して離職した人たちに対しては気の毒に思った。いざ自分に降りかかってきたときには、以前は裏切りと感じ激しい怒りが収まらなかった。最近はというと、怒りは感じるものの、そのような人と縁してしまったことへの嘆きと、兆候を感じてもっと対策できたかもしれないという自分への苛立ちをも感じる。以前とは違い、客観的に一歩引いて見ている自分がいる。そうでなければ、とうに倒れていただろう。

 

彼らは、常にハイエナのように何か貶める材料がないかと、そうとは感じさせずに嗅ぎまわっている。自分に本当は自信がないのだが、自尊心は山のように高く、それを崩させないために相手を陥れる。自分を高めるのではなく、相手を低い状態へ追いやるのだ。この策略と思考回路については想像できなかったが、人生の達人に教わった。最も教えをうけたときには心と人生へのダメージが大きくなりかけていた時ではあったのだが。

 

同じ時期に、彼らの手法の一つのことを知った。些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示したりして、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは自身の認識を疑うよう仕向ける古典的な手法(心理的虐待の一種でガスライティングというらしい)のことを知った。

 

これに完全に巻き込まれないことは難しいのだが、嗅覚と知識と戦術が必要になる。「この人は何かおかしい、危険だ」と察知する嗅覚とそれを否定しないことが第一のステップ。次にできるだけ距離をおいて関わらないようにする。攻撃の口実を与えない。これは高度な防御で私自身もまだ完全に習得できてはいない。痛みを伴って学んだことは、とにかく相手の領域となりそうな範囲に入らない。時に正義を程ほどに諦める。相手がプライドを傷つけられた、権威を脅かされたと感じかねない言動を慎むこと。その境界線は相手にもより難しい。それにそんな防御も無効だったり、初めから巻き込まれてしまう場合もある。それでも無知、無策よりは何倍も良い。

(あくまで個人的な見解なので、困りごとは専門家に相談されることをお勧めする)

 

こうしたことをリアルに紐解いてくれるメンター複数人との出会いは宝物だった。限りある人生、良くない人との時間のダメージは最小限に抑え、良い人たちと有意義な時間を過ごしたいもの。貴方にとってまた私自身も、この先そうあることを願う。