先週、後輩が私の前から去って行った。

 

会ってしばらくは沈黙の時間が流れていた。

何気ない世間話にすらも反応がなく、説明をしても相槌もなく。それでも理解してはいるようだったので、そういう、ともするとコミュ障気味の性格の子なら無理に押しかけていくのは止めようと思っていた。ただ、折々に質問はあるか確認をしたり、状況を見て声掛けしたり、困ったときはいつでも言ってきてと、先輩としてできる限りの対処をしていたつもりでいた。

 

それでも彼からは何もなく、いつしか彼のその沈黙を「拒絶」だと受け取るようになっていた。

 

ところが。

挙動が固まっていたのは言葉に出来ないほどの重荷、周囲への溶け込みにくさを感じていたからと後から分かった。なぜもう少し一緒に考えて貰えなかったのだろうと上司を恨む気持ちが湧いた。個人的にこんなに心を配っているのに何故協力してくれないのかと。

 

時が経ち別れるタイミングがやってきた。

彼はどうして職場を去ろうと思ったかを教えてくれた。それは人間関係ではなかった。もっと根本的な、逃れられない環境の厳しさに、彼はずっと一人で耐えていた。そしてささやかな差し入れの際に見せてくれた、以前とは別人のような弾ける笑顔と感謝の言葉。嬉しいと同時にほろ苦い気持ちになった。

 

彼がコミュ障気味だと勘ぐって諦めたり、他の一般的な人たちと比較して違いを嘆いたり、上司に不甲斐なさを感じるよりももっと早く、出来ることがあったのではないか。表面的な態度で壁を作られていると感じこちらも壁を作ってしまう前に。例えば何人かを誘ってのランチとか。そうすればもっとお互いに気持ちよく過ごせる環境を作れたかもしれない。罪悪感に苛まれる。

 

彼との出会いは、型通りに行かないことへの柔軟性を養うことと、もっと踏み込んで人間関係に対処することの必要性に関する、学びだったと思った。不甲斐ないのは周囲の人間ではなく自分だった。まさに人は自分の鏡。彼をもっと正しく見ようとしなかった自分の鏡。

 

これからは、得意な想像力と観察力を、目の前の人にもっと集中して働かせ、本当の意味での踏み込む勇気を持ちたい。ほろ苦い学びをくれた、彼のこれからが素晴らしいものであることを願って。

この出会いに感謝して、さようなら。