過剰な仕事の負荷に苦しみを感じつつも当面は抜け出せない。

放り出したら同僚にも悪いし路頭に迷い、経済的にも困窮するだろう。

サラリーマンの気楽さが享受できずに悔しい。毎日とにかくしんどい。

また、フリーズする。

 

はっと気づく。

この奴隷のような自分を苦しめさせる生活ははるか昔からループしている。

小学校3,4年。小学校の先生にしては見るからに冷たく厳しく笑顔のない先生。

思えばこのとき「怒らせてはいけない」と表情、身体の動き、自由に感じることすらもフリーズさせることがスタートした。

小学校5,6年。成長期なのに寝る時間もないほどの宿題を課される。

あるときは翌朝担任に「精一杯頑張っても1割が出来ませんでした」と言ってもサボったのだろうと返され、言葉を失った。また、当番の役割を適切に果たしていないとされ班全員が罰を受ける。

虚無感に打ちのめされる。

 

中学校。部活の顧問の気分で校庭一周800メートル程を40周、と時折命令される。気が遠くなり息は苦しくやっと動かす脚で完遂させる。指示命令には従うものだ。とりわけ子供の頃はそれがおかしいとか感じる世界とは別世界だった。従わないと自分の進路にきっと悪影響がでてしまう。ごまかすとか逃げるという選択肢はなかった。

酷使された体で帰宅し、受験のため休む暇もなく今度は塾へ向かう。

 

歯を食いしばって耐えに耐える。感情は、理不尽さと不甲斐なさを感じないようフリーズ。我慢と根性は美徳でもあった時代。途中で辞めたらいけない、頑張れば好転するという強迫観念にも近い希望を持ち続け。

長い年月が経ち、無意識の闘争モード、食いしばりで歯は痛み慢性疲労から抜け出せない。

 

自己処罰という言葉。私は自分で自分を罰しているのだろうか。

遠い別の人生で悪いことをしたから、虐待をうける運命なのだろうか。

 

 

でももう、この悪循環から離れるタイミングがきたよう。

理由は分からないがそう感じるから。

まず、尋常でない忍耐に疲れた。必要以上の我慢が必要な場合は環境が自分に合っていないに違いない。もしくは合わなくなったとも考えられる。見方を変えると合わない環境が設定されていたとも言えるかもしれない。

 

でも、本当は、逃げてもいいのかもしれない。

しかし矛盾するようだが、逃げることが必要な状況は、もうしばらくすると現れることがなくなるだろう。これも説明できないがそう感じる。

 

以前の人生のパターンが未だ続いているものの。

何か以前の生き方が今の自分のモードに合わなくなっている。

重い。でももう重さが必要ない。軽くなる気配がする。

 

私は過去の私を労い弔う。感覚を凍らせて朦朧とした頭と重い身体で何とか耐え凌ぐしかなかった、そのお陰で今の自分が生存していることに感謝して。

新しい、本来の、本当の自分の再誕生を祝う。

 

  

最近、どういうわけか逃避した先で成功した有名人の話を目にする。

家庭内暴力から逃れるため、テキサスから16才でパリに渡ってモスーパーモデルとして成功したジェリー・ホール。

ピカソの愛人で彼と別離後にアメリカへ渡り、芸術家としての地位を確立したという画家、フランソワーズ・ジロー。行動力に溢れた勇敢な女性たち。

「本当に逃れられない」子供時代を除き、軽々と悪い状況から一度で離れることのできた人には「虐待の運命」という呪縛がかからないという幸運がありそうだ。

 

長い時間が経った今でこそ逃げるという選択肢も見える。

もし今、同じように苦しんでいる人がいたら、逃げることを選ぶ人生もあるという事実だけは頭の片隅に入れてもいいと思う。一度しかない人生。自分が壊れる前に。