さて。
なんだか間が飛びましたが、看護助手時代のお話の続きです。
私が居たのは癌などのターミナル(終末期)医療を行う病棟で、ICUが併設されていた場所でした。
患者さんは毎日のように亡くなっていきます。
何人の方を見送ったかはもう覚えていません。
その中で印象に残った2つのCASEをお話します。
一人の方は癌末期の患者さんでした。
絶飲食、点滴での延命といったところでしょうか。
ほぼ常時天井を向いて横になっていらっしゃるため腰痛を訴えておられました。
腰骨が当たって痛いのです。
もう骨と皮でいらっしゃいましたから。
残念なことに、私が勤務していた間に、その方のお身内の方は誰もお見舞いにいらっしゃいませんでした。
排泄はベッド上でオムツにそのままでしたので、その処理や着替え、清拭など何度も担当させていただきました。
とても穏やかで、無口な男性でした。
癌による直接の痛みはあまり訴えておられませんでした。
余命宣告はされていたかと思います。
たまに「のどが渇いた」とつぶやくようにおっしゃっていましたが、doctorから絶飲も指示されているため、もちろんお水を差し上げることはできませんでした。
その方のカルテに目を通す機会はなかったので(助手は見れませんでした。現在の訪問介護員としては利用者さんの経歴などカルテのようなものを全て見て把握しますが)、その方のご家族構成や、何があっておひとりなのかなどはわかる由もありませんでしたが、ただ毎日天井を見続け、誰も来ないその方のベッドまわりは寂しくてたまらない光景でした。
私は彼からの返答があるなしに関わらず、その方のケアをする時には必ずお声掛けをさせていただいていました。
「今日は良い天気ですね」など当たり障りのない会話から、ちょっと楽しげなこと、テレビのニュースなどです。
そして昼休みにちょこっと折った鶴などを、そっとベッド脇のテーブルに飾ったりしていました。
そんなある日。
その方のまわりに何人もの男女が集まっていました。
皆さん手に本のようなものを持ち、その患者さんを取り巻いています。
私は何事かと思いましたが、同僚から首を横に振られて気づきました。
その時が来たのでした。
その取り巻きの方たちはクリスチャンのようでした。
一人が手にしていた本・・聖書を読み始めます。
それを読み終わると、全員が讃美歌を歌い始めました。
(他の患者さんもいらっしゃるのですが、その行為は病棟が認めたようでした)
静かで荘厳な讃美歌の旋律が美しく病棟全体に流れて聞こえていました。
少し長めのその歌が、やがて終了し、アーメンが聞こえてきた時、その患者さんの目は閉じられていました。
彼は静かなまま、美しい音楽の中で神に召されて逝かれたのでした。
私はとても不思議な気持ちになりました。
私自身は特に信じている宗教はありません。あえて言うなら日本古来の自然神と高野山だけは少し特別です。
でも敬虔な仏教徒であるとか、真言宗教の教徒であるとか、そういうわけでもありません。
もちろんクリスチャンでもありません。
けれど、賛美歌に魂をそっと乗せて天へと昇られるようなその様は、ある種衝撃でした。
それによって患者さんが安心して召されたのならば、宗教もそう悪いものでもないと思いました。
エンジェルケア(ご遺体を美しく整えること)はナースさんがなさいますが、私はちょっとお願いして立ち会わせていただきました。
そっと触れると、ケアの時にはまだお体は暖かく、その表情も穏やかに眠られているようにしか見えませんでした。
その方のお見送りの時はあまり涙は出ませんでした。
とても安らかなお見送りだったからだと思います。
あの患者さんは信じるもの・・信仰によってご自身を支えていらっしゃったのでしょうね。
あの賛美歌の声は、もうずっと私の脳裏に焼き付いています。
どなたか、彼がお帰りになられたお住まいで、彼のご遺体にお水を上げて下さっていたらいいな、と思いました。
言葉が少なかった彼が一番たくさん放った言葉が「お水が飲みたい」でしたので。
さて、お二人目のお話です。
その方はまだお若い男性患者さんでした。
肝硬変でした。
黄疸はかなり強くでており、もしかしたら胆のうがんか胆管がんになっていたのかもしれません。もちろん私の知るところではありませんが。
この方のお世話もしておりました。
割とお元気でよくおしゃべりなさる方です。
ご家族さんも時々来ていらっしゃいました。
お若い娘様がいらっしゃいました。
ご家族様とお話したことはありませんでしたが、患者さんとはよく喋りました。
普通のお若いお父様という感じでした。
ただ状態はあまりよくなく、正直いつ急変してもおかしくない、ということは助手にも伝えられていました。
その日、私はその方の入浴介助の担当でした。
お湯を張って支度をし、彼を呼んで浴室に車椅子でお連れしました(バイタルチェックはナースさんがしてくれるので、もちろん入浴許可は取れています)。
おひとりでお体を洗うことはできるくらいでしたが、よろけて倒れたり、急変したりするといけないので、一緒に浴室に入って見守りという形での介助でした。
お背中は洗わせていただきました。
その日もよくおしゃべりをなさいました。
そしてゆっくりと湯船に浸かられると、「ふうー」っと心地よさげなお声を漏らされておっしゃられました。
「あぁ、今日の湯温はなんてちょうどいいんだ。僕はこのくらいの温度で入るのが好きなんだよ。あぁ、本当になんて気持ちいいんだろう」
「それはよかったです。ビンゴな湯温でしたか(笑)」
「うん。ほんとに」
彼は目をつぶってお湯を愉しまれていました。
私はにっこり笑っておそばで見守らせていただきました。
そして、その翌日でした。
彼が急変したのは。
その日の朝、私は彼のベッドへ朝食をどれくらい食べたかをチェックしに行きました。
その時点で意識レベルが下がっていることが認められ、その後急遽ICUへと移され酸素がつけられました。
やがて意識混濁状態に陥りました。
その翌日にはご家族様が呼ばれて、あっという間にお亡くなりになってしまいました。
あまりに早い展開に私もびっくりしました。
閉められたカーテンの中で、娘様が「お父さん!お父さん!」と泣き叫んでいる声が聞こえていました。
私は他の患者さんの排泄処理をしながらその声を耳にとらえ、思わず手が止まり目が潤みました。
そして、一緒に処理していた先輩に「ダメよ」と言われて「はい」と答えると作業を開始しました。
「一人の死を引きずっては他の患者さんのことがおろそかになるわよ」
その通りだと思います。
その病棟では毎日のように人が亡くなっているのです。
死は平等です。
どんな偉い人も、どんな貧乏人でも・・どんな酷い人でも・・「死」は平等に同じようにベッド上の患者さんを包んで連れて行きます。
私たちスタッフはその一人一人に思い入れ過ぎていては仕事になりません。
患者さんは次々搬送されてきて、休む暇もないのです。
けれど、私は「お父さん」と叫ぶ娘様の声が・・父を亡くした時の自分と重なっていました。
何度呼びかけても、連れて行かれた魂が戻ることはありません。
その絶望感。
その虚無感。
私は自分の作業をさっと終わらせると、次の作業に移るほんの数分の間に、そのご家族様のところへ向かいました。
「失礼いたします。この度は誠にご愁傷様でございます。私はお父様を最期に入浴介助させていただいた者です。お父さまのお言葉をお伝えさせてください」
そう言って頭を下げました。
ご家族様はそろって涙でぬれた目を私に向けました。
「お父様は入浴された時に、”こんなにちょうど良い温度のお風呂に入れて本当に気持ちが良い”とそれは気持ちよさそうに笑顔でおっしゃっておられました。”気持ちいい、気持ちいい”と繰り返し・・」
娘様と奥様がほんの少し笑われて、それからどっと泣き声をあげられました。
「そうですか・・そうですか・・父は気持ちよいと言ったのですね」
「はい。笑っていらっしゃいました」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
ご家族様は深々と頭を下げられ、私ももう一度頭を下げて足早にその場を去りました。
私なら、そういう話を聞きたい、と思ったからです。
助手はそういうことをご家族様に口出ししてはダメよ、と看護部長に言われていましたが、私は言わずにはいられませんでした。
あの穏やかで気持ちよさそうな笑顔をお伝えしなくては、と、いても立ってもいられなかったのです。
今でも後悔はしていません。
皮肉なことですが、病気で入院されてしまった死期の近い患者様は、ご家族様より私たちスタッフの方が身近でいろいろとお手伝いしたりお話したりするものです。
本当はご家族様がお話したかったろうに、と思うといつも胸がつまりました。
私は作業室でこっそりと泣いてからぎゅっと気持ちを入れ替えて次の仕事へと向かいました。
新人のナースさんもよくこの狭い作業室でこっそり泣いたりしていました。
私たちはよく「人が死ぬことが平気な冷たい人種」扱いされますが、そうではありません。
人が死ぬことに馴れるわけではありません。
亡くなってしまった人にいつまでも情念を抱いて自分もしくしくしていたら、まだその瞬間を生きて頑張っている他の患者さんたちをお助けできないから次へと走るのです。
私がこの病棟で学んだことはたくさんありますが、一番大きなことは
「死はどんな人にも全く平等に訪れる」
ということでした。
どうか生きている今を、一日一日を大切に、いつか必ず来るその日まで前向きに、元気に過ごしてください。
私自身も希死願望を抱くこともありますが、できる限りpositiveに頑張りたいと思っています。