「家族ってなんですか?」と被害者の妊婦さんの問いに対して、鴻鳥先生は、自分は孤児だったからわからない、と答えます。
そして、母子シェルターに入ること(孤独になること)を決めた妊婦さんに、先生は言います。

※コウノドリ4巻(鈴ノ木ユウ先生、講談社さん、ゴメンナサイ。お借りします)
と。
私はずっと……
子供の時からずっと、「家族ってなんだろう」と思っていました。
だから、結婚して家庭をもったら家族が出来る。想像で想い描いた家族がつくれる、そう思っていたのかもしれません。
子供が出来れば自然に家族が出来る、と。
自分が言われたみたいに、「死ね」とか「殺してやる」とか私の口から子供には言わない。
父は、母や娘である私たちに暴力をふるったけれど、きっと私が産む子供の父親は違う。
そんなことはありえない。
ありえないんだ。
私は勝手にそう思っていました。
けれど、私の結婚と出産はあらゆることが想像の外でした。
当たり前ですよね(笑)。
でも、その外っぷりはちょっと極端だったのもしれません。
夫はなんだか変わっていて、自分の世界の中で勝手に生きてる。
妻であるはずの私の気持ちに寄り添ってくれない。
会話がずれていく。
共有できる感情がどれなのかわからない。
夫の一般常識は、一見普通の一般常識にも聞こえるから、ぼんやりしてる私は深く考えることもなく、夫から夫の正を主張されると、そうなのかな?と思ってしまう。
そうなのかな、
そうなのかな?
私が間違えたのか。
けれど、あおの療育(子育て)はとてもとても大変で、
なんで?
って思いながらも、それは当たり前。
それは私の責任。
みんな大変なのが普通。
そう自分に言い聞かせて、泣きながらも飲み込みました。
そんな中で夫がまさかの暴力。
「家族ってなんだろう」
私はずっとその問いを自身に投げ掛け続けました。
あるカウンセラーから訊ねられました。
貴女が結婚してから今日まで幸せだった時の記憶を思い起こして私に教えてください。
幸せ?
どれ?
私は凍りつきました。
いつ幸せだったのか、わからなかったのです。
私は、自分の育った環境のせいで心を病みやすいのだと思っていました。
夫への不信感や違和感を抱きながらずっと、
私の両親があんなだったから、私はこんななんだ、と呪いのように信じました。
けれど、……私は夫との結婚生活で間違えたのです。
夫を冷静に観察しなかったこと。
あおの療育で自分も疲れて傷ついていたことに気付けなかったこと。
私は母親だから、何もかもを背負うのは当たり前だと信じていたこと。
夫が働いてくれてることに感謝しなくてはいけなくて、だから、他のことは全て私が背負うべきものなのだと思っていたこと。
だったら、
家族ってなに?
幸せが何処にあったのかわからなかった私です。
そりゃ、その答えがわかるわけもありません。
夫から暴行受けたとき、凄く怖くて、悔しくて、腹が立ちました。
泣きました。
夫が落ち着いてからはもちろん糾弾しました。
けれど、何処かで、こんなもの、と思う私がいたのです。
暴行、暴言に馴れていた私でした。
夫はしばらく毎日、ごめんな、ごめんな、と言っていました。
父も暴力をふるったあとは猛省するのです。
そして父がどれだけ母を殴っても、姉を殴っても、両親は離婚することはなく、生活環境はかわることなく、そのまま日々は続きました。
だから私も、夫との日々を続けました。
私は間違えたでしょう?
夫婦って、片方がメインで働き、片方がサブで働き、それによって生活費をつくり、
それから一緒に子供をつくり、
一緒に子供を育て、
相談したり、悩んだり、考えたり、
ましてや、我が子に障害があるならなお、
感情や気持ちの共有をして生活するものなんですよね。
私があおを育てるのに辛かったことは、
あおの障害のサポートについてじゃなかったんです。
あおの療育を一人で背負った私への、夫からの理解と、共感、共有がなかったことなのです。
夫に対して期待はもっていたかもしれませんが、依存したのではありません。
共感と共有を求め続けたのです。
得られることのない、それを。
家族とはなにか。
私にもわかりません。
けれど、私の家族は、私の側にあり、共に泣き、共に苦しみ、抱き合い、励まし合い、闘った、私の息子たち、
あおといと なのです。
他に誰が必要でしょうか。
私は孤独だと思いましたが、
私には17年前からあおが、11年前からはいとも、ずっと側にいたのです。
それだけで充分なんじゃないかと、…思いました。
私はまだまだよわっちいけれど、
私の家族を守りたいです。
まだまだたくさん悩むけれど。
今はそう思います。
にほんブログ村
にほんブログ村
発達障害ランキングへ