2003年12月。
息子2が奈良で誕生しました。
予定日より数日経過しての誕生で、大きさも十分ありました。
この子は今度は切迫流産になって、妊娠当初私の出血が止まらず、流れてしまう可能性のが高いと言われていました。
息子1の世話も大変だったので無理も祟ったと思います。
でもこの子も本当に頑張ってくれて、無事に自然分娩にて出産となりました。
この時、私の母はだいぶ年も取っていましたがはるばる神奈川から奈良まで来てくれて、産後発熱して保育器収容となった次男を抱いてくれました。
その時、母が珍しく涙を流したことを私は驚いて見ていましたが、母も年を取ったのだなあと思うと同時にもらい泣きしそうになりました
。有難かったです
。さて。
そんな息子2が退院して2ヶ月経つ頃、またもや転勤話が来ました。
「会社が粉飾決済になったんだよね。ここ社宅だから出ていかないと。次は兵庫なんだけど来るよね」
これはもう出るしかないですからね、私はまた荷物をまとめて子供二人抱えて引っ越しとなりました。
息子1はこの時、卒園まであと2ヶ月でした。
小1で知り合いが誰もいないのは不憫かと思い、その2ヶ月を引っ越し先の新しい幼稚園へ入れたのですが、息子1は馴染めずいつも廊下でポツンと立ち、給食も食べられなくて職員室にいたそうです。
教室では本ばかり見ていたとか。
それを卒園の時に言われて愕然としたのを覚えています。
息子1は登園拒否もしなかったし、幼稚園が嫌だとも言わなかったので、その状態を聞いたときは涙が出ました。良かれと思って入れたけれど、そんな思いをしていたのなら、たった2ヶ月くらい、幼稚園など行かせなかったのに、と。
今でも後悔しています。当時を思い出すと息子1に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
そして春になり、息子1は小学1年となりました。
1年の担任は優しい先生で、息子1が絵を描くことが好きなことを発見してくださり、コンクールに出してくださったりして賞状を頂くことがありました。
私は1年生のときも、念のため担任の先生に、「息子1は発達障害ではないか?」と訊ねましたが、「お母さんが自ら息子さんに障害があるなどと言ってはダメよ」と言われて引き下がりました。
そのうちその先生が産休に入り、臨時の若い女性担任が来ました。
ところが、この先生になってから息子1へのクラスでの苛めが始まりました。
その担任は扱いづらい息子1のことをみんなの前でけなしたりばかにしたりする発言をしたようです(確実な証拠は取れませんでしたが色々と耳に挟んだのでおそらくそうだと思われます)。
成績も、産休前の先生がつけてくれたものとは雲泥の差で、それは散々なものでした。
始まった苛めは2年生になっても続き、暴行を受けたり、物を壊されたり、取られたりしました。
息子1はおとなしく自己主張もしなかったですし、苛められても他人事でヘラヘラしていました。こんなことをされた、という報告は私にするのですが、それが嫌とか腹が立つとか、そういう感情は見せてきませんでした。
高校になった頃にようやく、あの頃は腹が立ってたんだということを言っていましたが(^_^;)。
苛めを受けている本人の感情がいまいちよくわからなかった当時でしたが、暴行や物を壊すなど実害が出ていたので、2年の時に担任に訴えてみました。
すると、「息子1君はおとなしく問題もないのでそんなはずはない、お母さんの思い込みです」と言われてしまい、ムッとした私は、壊された物を持って、ベビーカーに息子2を乗せると小学校に乗り込んで行きました
。結局、息子1を苛めていたグループが見つかり、担任とその子達と息子1と私での話し合いになりました。
何故こんなことをするのか?と子供たちに尋ねたところ、返ってきた答えは
【息子1くんにならやってもいいと思った】
口を揃えてそう言うのです。
その理由に絶句した私でした。
苛められても反撃しない息子1。
黙って自分の世界にいる息子1。
理解しない担任。
とても悔しかったです。
結局小学生の間は、息子1になら苛めをやってもいい、が定着してしまい、もちろん苛められたり、物を盗まれたり頻繁でしたね。
そして小学校4年生のとき、初めて息子からのSOSがその口をついて出たのです。
【死にたい】
と。
あぁ・・・これはもう限界だ、と思いました。
私は泣きながら息子1と話し合おうとしましたが、息子1には私が泣く意味も困っている意味もまるでわからず、会話がかみ合うことはありませんでした。
ここで私は息子1を病院へ連れて行く決心をしたのです。
総合病院の小児科の中にある発達の専門外来でした。
ここまでの息子1の様子を説明すると、医者は発達障害のテストをしましょうと即座に言いました。息子1は意味もわからず言われるままにテストを受けました。その結果が、
【広汎性発達障害】
この答えにたどり着くまで9年。
9年も私は息子の苦しさをすくい上げてやれなかったのです。
本当に障害があった事実は少なからず私を愕然とさせましたが、同時に「やっぱりそうだったのか」という安堵に似た気持ちも起きました。
障害なら対応の仕方があるはず、と思ったからです。
我が子が障害児である事実は確かに過酷です。
けれど、私にはその事実こそが息子1を救える手段になるはずだという思いが沸き起こりました。
もちろん、自己嫌悪には陥りましたけどね(^_^;)。
自分が切迫早産で薬漬けで産んだせいなんじゃないか、とか、あの時滑り台から転落させてしまったからではないのか、とかインフルエンザで熱性痙攣を起こし、半日意識が戻らなかったからではないのか、とか・・・息子1を健常者で産んでやれなかったのは全て私のせいだ!等々。
でも担当医は言ったのです。
発達障害の原因はまだ特定されていないのです、と。
遺伝的要素は指摘されていますが、それだけではないかもしれません。
まだわからないのです、と。
だから、お母さんが自分のせい、と自己嫌悪するのはやめましょう。
それでは息子1くんのサポートはできませんよ、と。
そうです。
自己嫌悪は常に付きまといます。
今だにです。
遺伝的要因と言われたら、誰がもとなの?とも思いました。
まぁそこから夫のASDがわかってくるわけですが。
(で、夫には自己嫌悪はないですw)
でもどうやら私にもADHDがあるようですから、遺伝的な問題を責めるならやはり自分をも責めずにはいられません。健常者として産んでやれなかった後悔は一生私の心を痛めるのです。
けれど、母はそこに留まり続けているわけにはいきません。
わかったからにはサポート体制を作っていかねばなりません。
本も読みましたし、先生からいろいろなお話も伺いました。
他の病院もいくつも行きました。
息子1が苦手なものを受け入れられるように、生きる上で大切なことも覚えられるように、色分けしたカードなどを手作りしたりしながら、息子1が将来社会に出ても生きていけるように、と私は全力で、今も、向き合っています。
学校の対応は学年によって悪かったり良かったりしていました。
小学校5年と6年はようやく理解を得られ、サポートも受けられ、普通学級で生活を続けることができましたので、小学校にも感謝しています。
しかし、中学には申し送りがされておらず、5月まで何かと苦労しました。
学校にすべてをさらけ出して担当の先生や担任と話し合いを重ねるうちに団結力も出てきてその後はまとまってきました。
本人は中2の頃が反抗期・思春期のピークでゲーム機やら携帯やらを破壊されたりしましたね。
中2の頃は本人へ、発達障害であることの完全な告知も行ったため、余計に荒れたかもしれません。(小6頃から徐々に話はしていました。障害という言葉は使わずに)
タイミングが悪かったかどうかはわかりませんが、大変だった分一気に済んだ感もあり、中2の終わりごろから、急激に仲良くなったヤンキー(笑)の男子生徒との関係を通して、息子1は突然成長を遂げてしまったのでした。
その子と知り合う前までは、友達のうちに泊まることなどもってのほか、家から7分ほどの駅までのバスにも乗れず、友達と繁華街まで行っても精神をすり減らして帰ってくる始末で(もう行きたくないとすら言っていました)、同い年の男の子たちが世界を広げていく中で、縮こまっている息子1がいました。
でもどういったわけか、その子の家には泊りに行くことができ、その子となら繁華街も楽しく行けて、その子を通して他の子たちとも仲良くなり、それぞれ高校は異なりましたが今でも交流しています。
その子は多分本当にヤンキーで(笑)、通りすがりとケンカをして拳を壊したり、ちょっと怖い感じの子たちと仲良くしていた一人です。茶髪でしたし、おそらくタバコも(^_^;)。
けれど、その子本人からも息子1からも聞いたのですが、お互いに毛色が全く違うにも関わらず出逢った瞬間に「こいつとは気が合う」と直感したのだそうです(笑)。
不思議なものですね。
もちろんその子は長男1の性質も理解していて、悪いとこは悪いと言ってくれていましたし、ケンカする時やタバコの時は絶対に息子1を巻き込みませんでした。
息子1もそれは拒否していたのかもしれませんが。
そうやって息子1の世界は、親である私の頑張りなどかすんでしまうくらいにあっさりと友達によって広げられたのでした。
それは私には泣けるほど嬉しい出来事でした。
息子1が普通の子のようにバスや電車に乗って友達と遊びに行く。
息子1が普通の子のように夜通しお友達の家で遊ぶ。
家に連絡も入れずに、友達との遊びに夢中になっているのです。
あの、他人に興味のない息子1が。
私は、その子の存在が有難くて、有難くて、有難くて・・・その子のことを考えると今も涙が出てくるのです。
そうして総合学科の高校受験を乗り越え、高校生になり、美術部に入って今に至る息子1です。
この夏にはAO入試で芸術大学への切符を手にしました。
幼い時から絵を描くことが大好きだった息子1ですが、大学まで行けるとは、本当にありがたいことです。
息子1曰く、
「高校に入ったら僕より変な奴がいっぱいおったわ」
だそうです(笑)。
多分、大学にももっといると、母は思います:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。
そして高2の春。
この息子1は父親が起こすある事件によって、さらなる飛躍を見せてくれたのです。
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