こんにちは。
AlphaGo VS イ・セドル戦からしばらくたち、うすらぼんやりと考えていました。
今回のイベントを、どのように捉えるべきか。
■碁打ちにとってのAlphaGo(技術的な側面)
これまでの囲碁の考え方(棋理)をくつがえし、再構築するための流れを作る重要な因子になると考えます。
故藤沢秀行先生が、自らの囲碁の理解度を「百のうち六」と表現したとのエピソードがありますが(それも酒を飲んで気が大きくなっていたらしい)、AlphaGoによって皮肉にも(?)囲碁の深遠さが裏付けられたようです。
囲碁に限らず、どのような業界でもトッププレイヤーと言うのは孤独である、と想像しています。
というのは、自らが見ることのできる世界を共有できる存在がほとんどおらず、その先にあるはずの世界に向けて、一緒に壁を超えようとする人もいない。
イ・セドルも囲碁を極めつつある人間の1人ですから、自らの限界をより切実に感じていたのではないか、と。
これは、第5局の後の記者会見で述べたコメントより想像したものです。
(引用元:http://nitro15.ldblog.jp/archives/47099273.html
)
-幼い時その気持ちで対局を楽しんだのか。
"(イ・セドル)囲碁はもちろん楽しむことだ。プロ棋士だろうがアマチュアだろうが楽しむことが基本だ。だが、ある瞬間から果たして私が囲碁を楽しんでいるかという疑問は常に持っていたが今回のAlphaGoとの対決は本当に間違いなく思う存分楽しんだ。"
近年の碁は、僕が真面目に囲碁の勉強をしていた15~20年前と比べて、それまでの常識に捉われず、フラットに物事を見る傾向が強まっていたと思います。
AlphaGoの着手を解釈するために、さらにフラットな目で見ることができると良いですね。
イ・セドルは早碁棋戦を除き、2013年以降で世界戦の優勝から遠ざかっているようですが、今回のような負け方であれば、モチベーションを高めることができたのではないかな。
これを機に、他のプロ棋士たちもあわせて限界を超えて、新しい視界を拓いてほしいです。
余談ですが、僕個人としては少し自分の碁に自信を取り戻すことができました。
というのは、好きな手を打って「なんでこんな手を打ったんだ」なんて人に言われても「そうは言っても、いい手かもしれませんぜ」って反論できる程度には、「常識」というものは不確からしいことがわかったから。
■GoogleにとってのAlphaGo
人工知能分野における広告効果(取り組みの本気度、体制)としては、囲碁においてこれ以上のインパクトを出すことはほとんど不可能でしょうから、企業判断としては続ける意味はなさそうですよね。
最終的な決定権はGoogle本体にあるのかなぁ、と思いますが、実際に開発を行ったdeepmind社のデミス・ハサビスCEOや本プロジェクトの中心メンバーの1人であるAja Huang氏がどの程度発言力があるのかな。
僕のような典型的アジア人(?)の感覚では、用がなくなったら「ハイ、さようなら」と言われるよりも、メモリアルみたいな位置づけで年1回のAlphaGoとのエキシビジョンマッチをかけた世界戦(まるで将棋の叡王戦のような!)を開催するとかしてもらえるとうれしいな・・・。
googleの営業利益は2015年10月~12月で745億ドル(約8.3兆円)らしいので、1秒間に100万円くらい稼いでいるみたいです。
10分間分くらいの稼ぎ(≒6億円)を、囲碁に割り振ってくれんものかのう。
■一般社会にとってのAIと囲碁界の関わり方
僕もど素人ながら、AIについての積極論、慎重論が飛び交っているのは目にします。
少なくとも、第4局目の78手目にイ・セドルが放ったワリコミの勝負手以降にAlphaGoが見せた振る舞いは、予測していない事態に対する脆弱性を持っているように見えます。
なんというか、まだ未熟というか・・・こんな感じ?
(AlphaGo萌えっ娘説 友人より拝借)
擬人化の絵を持ってきておいてなんですが、AIがあたかも人格を持っているかのような扱いはしないほうがいいと思いますね。
AlphaGoはモンテカルロ木+ディープラーニングという組み合わせで囲碁だけは相当程度強くなったけど、石塔シボリはくらうし(第5局)、予測していない進行になると変な挙動を起こすし(第4局)、システムとして信頼のおけるレベルに達していないのは明らかです。
単に、その欠点を補って余りあるほどに、大局観なるものが発達したらしい、というだけであって。
AlphaGoを「先生」や「師匠」みたいに呼ぶのも、発言者は意図しなくても、偶像化のようで僕は好きではないです。まぁ、日本古来の妖怪では「付喪神」なんてのもいるので、そういう意味での考え方は似てるのかも。
AlphaGoの衝撃は、まさに囲碁界に深く関わる人たちにとっての衝撃は非常に大きかった。
だからこそ、囲碁関係者は人工知能について見識を深めて、等身大の評価をした上で、クレバーな接し方をしていきたい。
そういう姿勢を見せることが、囲碁界の存在価値を高めることになるのではないかな、と思います。
形勢判断をして、適切な手を打つ。まさに碁打ちがこれまで幾度となく繰り返してきたプロセスじゃないですか。
■ついでの駄文
・ディープラーニングでいろんな特徴を自ら見出し、分析・評価をして結論を出す。
これって、結局人間の理解を超えているという意味ではブラックボックスのままですよね。
「これまでの棋理では正しいらしい」から「AlphaGoが打って○○に勝ったから正しいらしい」に変わっただけで、なんとなーく精度が高くなったらしい・・・?
らしい、らしい、らしい。
・人工知能の発展に寄与する一方で、囲碁の存在感がなくなってしまうのではないか、という悲観論。
世界にとっては広範の意義で人工知能が発展する方が、たぶんいいんだよね。
万が一、囲碁がなくなるとしても、それでも研究に協力するというのが「大局観」ではないのかな。
囲碁の強い人は、たいてい捨て石がうまい。囲碁が世界の捨て石になるのなら、それはそれで。
実際には、捨て石にするかどうかは別の話だけど「捨てる場合もあるよね」っていう目で見てると、視野が広がって、いい手が浮かぶ場合って囲碁でもあるから、そういう意識でいたほうがたぶんいいよね・・・という自らへの戒め。
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