こんばんは。
私の履歴書の3回目です。
■前回のあらすじ
マグレで少年少女囲碁大会長野県予選を勝つ(小5の6月)
全国でも趙門合宿でもぼこぼこにされる(小5の8月)
■大学合宿
兄の所属する大学の囲碁部合宿が安曇野で行われ、これに参加した。
小6からすればみんな大人のように見えた。
兄の同期で一人、髪の毛ぼさぼさ、Tシャツよれよれの人がいて、ひょろっと背が高い。
俺は「貧乏神」と名付けた。
合宿中、テーブルトークRPGを見る(たぶんソードワールドシナリオ集)。
小学生当時は謎だったけど、その後リプレイ集など見て「あれがそうだったのか」と。
合宿の目玉は「ハンデ戦トーナメント&トトカルチョ」。
トトカルチョは自分をアタマに流し、強気の賭け。
有言実行で優勝したが、若気の至りだった・・・いや、今でもそう賭けるな。
■少年少女囲碁大会 長野県予選(2回目)
決勝でSくんと再戦。負ける。
帰りの車中、泣いている俺に父は言った。
「去年、お前に負けてSくんはすごく悔しくて、泣いただろう。それでたくさん勉強してきたんだ。お前はこの1年間で、それほどの思いをもって勉強していたか?」
返す言葉はなかった。
■全国大会に向けて
少年少女囲碁大会は、基本的に各県2名まで(大きなところは3名以上)が代表として出場できる。
全国大会直前、前年、2年前の小学生の部決勝の碁を並べた。
父にどうだと聞かれ「戦えると思う」と答えた。
そうか、と言うだけだったが、長野県でも優勝できなかったのだから、背伸びをしていると思っていたかもしれない。
事実、そうだったはずだ。子どもだから。
■少年少女囲碁大会 全国大会(2回目)
気分は半分観光のようなものだった。
前日の夜に東京入りし、四ツ谷のホテルに泊まる。
名前は「ホテルニューショーヘイ」だった。
「笑福亭笑瓶みたいだな」と父と笑う。
1日目、なんと4連勝してベスト8に残ってしまう。
泊まるアテはなく、あわてて九段会館に宿を取った。
Sくんはベスト8に残るつもりで宿を取っていたのに負けてしまっていた。
特に子どもは調子の振れ幅が大きい。
プレッシャーのあるなしは、おそらく関係していたのだろう。
2日目も、あれよあれよと2連勝し、決勝へ進出する。
相手は、ひょろひょろとして眉毛が太かったような気がする少年だった。
ひろふみことスペースマンである。
同じ小6だったが、彼は2年前にも準優勝していた。
その時の俺は、相手が何者かも知らなかった。
解説は当時棋聖だった小林覚先生だった。
俺が長野代表だと知ると「ボクのこと知ってる?」と聞いてきた。
いくらなんでも、時の棋聖くらい俺だって知ってますよ。
おそらく、実際には2子ほどの実力差はあったと思う。Sくんに負けるほどなのだから。
しかし、勝負は水物だった。
また、マグレで勝ってしまった。
少し後に、ローカルテレビ局の取材を受けた時に父が言っていた。
「うちの息子が勝ったって言ってもね、勝負の世界っていうのは厳しいから。」
碁を覚えて2年とちょっと、それで全国優勝をするなんて、自分は天才かもしれない、と思わなかったと言えば嘘になる。
変な錯覚をしたままでなく、きちんと軌道修正できたのは、やっぱり父のおかげだろう。
ともあれ、囲碁のプロを目指すと、明確に意識したのはこの後からだろう。
俺も、周囲も。