〈勝ち負け〉
僕は個人的な感覚として基本的に物事を勝つとか負けるとかいう見方で見るタイプではありませんが、世の中には実に多様な勝ち負けが存在しているのは知っていて、勝ち負けの基準でものを見る人間がいかに多いかということも知っています。そして、様々な勝ち負けのトータルで個人の社会的価値やポジション、評価が決まってしまうこともまた知っていて、すべてにおいて勝ち負けの物差しで計ってくるような人間に対しては圧倒的に勝つしか自分を守る方法はないと思っています。僕は以前、このような価値観の人間は相手にしない、もしくは逃げる、または理屈や工作によって価値観を転覆することによって辛うじて自己保身に努めてきたけれど圧倒的な力と数で優位な立場から価値観を押し付けてくる人間に対してこのような手段がいかに無力かということもわかってしまったのでもう今は戦うしかない、戦うからにはあらゆる手段を使って徹底的に勝つしかないと思っています。あらゆる手段を尽くして徹底的に考え戦い勝つことによってなんとか自分の価値観や自由や独立を守る。僕の戦いは基本的に専守防衛で例え戦いに勝ったとしても決して相手に自分の価値観を強要することはないです。いや、結果として強要することになってしまったとしても意図して強要することはないと言った方がいいかもしれません。僕は力によって自分の価値観を強要することは好まないし、そのようなことは僕の最も嫌うところで、僕は基本的に力ではなく議論を行い正しい理論、理屈をもって互いの深い理解により価値観を共有することを望みます。しかし、現実問題このようなことが実現することはまれで力が支配する世界の現実、一断片をいやというほど見てきました。
例えば、小学校の段階ですでに力による価値観の強要、支配は確立されていて正論の多くは踏みにじられとてもまともとはいえないような価値観が力をもって容認されていました。人は圧倒的な力を前にすれば容易に屈服するという現実の断片を沢山見せられ、また、僕も多くの場面で力に屈服せざるをえなかった。僕は僕なりに様々な方法を試しましたが、結局、僕が自分の価値観を守り自由を得るためには戦って勝つ以外に方法はありませんでした。そして、小学5、6年の頃、僅かな勝利を収め小さな権力を手にしたとき、僕は自分の主張と暴論に支配された価値観(自分の判断基準でそう思った価値観)の転覆に夢中になりました。そして、僕の主張や行動は一定の支持を得るに至りましたが、それも、一定期間だけですぐにまた暴論に支配された力による巻き返しが行われ僕はもう人間は信じられない、誰とも関わりたくないと思う程に精神を蝕まれてしまった。
力による押し付けに容易に屈服し偏った情報を一方的に刷り込まれ、それを絶対に正しいと思い込む低い魂を僕はいまでも酷く軽蔑しています。このような人間に対しては徹底交戦して圧倒的に勝つ以外に自分の感受性や価値観を守る方法はありません。僕は本来は勝ち負けではないと思っているけれどあらゆる場面において勝ち負けの物差しで計ってくるような人間には時に悪魔の意志と冷血をもって戦います。そして、勝ちます。しかし、勝ったとしても自分の価値観を押し付けることはしません。自分の自由と独立を守る為に勝ちます。そういうことです。
12.8.2017