障害児ママのプロサポーター,障害児親子向けサロンと音楽教室:名古屋

障害児ママのプロサポーター,障害児親子向けサロンと音楽教室:名古屋

名古屋市北区の社会福祉会館で、障害や発達に遅れや不安があるお子さんとお母さんの親子教室を実施中。からだ、動き、感覚を育てるタッチケア・バランスボール遊びを楽しめます。小児発達専門看護師保健師で知的,発達障害児の親でもある佐々木へ発達相談もできます。

赤ちゃんの寝返りや首すわりを促進させるベビーバランスボールプログラム👶


 


楽しく産後ダイエットできるバランスボール講座の案内はこちら💁


少し時間があるので、
今日はちょっと真面目な振り返りを。

息子が生まれたとき、いくつかの危険因子があり、
「この子は何かあるかもしれない」
と言われていました。



でも私は、ずっとそれを否定していました。
「そんなことない」と思いたかったんだと思います。

染色体検査や遺伝子検査を何度も経て、
ようやく分かったのが、CDK13の遺伝子変異でした。

両親から受け継いだものではなく、
突然変異として起こるものだと説明されました。

分かるまで、実に9年。

9年かかって分かったからといって、
息子自身が変わるわけでもない。
できることが急に増えるわけでもない。

「じゃあ、何だったんだろう」と
思ったこともあります。

でも、知ることで分かることもありました。

この子がどんなところに弱さを持ちやすいのか。
これからどんなところに気をつけていったらいいのか。

今ある症状や身体の特徴、変形などが「そういうことだったのか」と腑に落ちることもありました。

そして、同じCDK13の遺伝子変異を持つ子どもたちやご家族とつながることで、ほんの少しでも誰かの役に立てるのかな、と思うようにもなりました。

世界的にもまだ症例数は少なく、これから検査を受ける人が増えて、少しずつ分かってくることもきっとたくさんある。まだまだ新しい分野なんだと思います。

そんなことを考えていたら、ふと
「人って、誰が完全なんだろう」と思いました。

誰だって、どこかに不具合があったり、
弱いところがあったりする。

ただ、それが生活にどれくらい影響するのか。
重い疾患や病気につながるのか。
それによって、周りから見た「障害」や「病気」というものになるのかもしれないな、と。

私は以前、生殖医療の現場にいました。
ちょうど出生前診断が出てきた頃で、今では一般的になっている検査も、当時はまだまだ新しいものでした。

患者さんからいろいろなことを聞かれました。

でも私は、医療者として「こうしたほうがいい」と答えを決めつけることはしないようにしていました。

肯定でも否定でもない。
正解でも不正解でもない。

その人が悩み、考え、選んでいくために、私はただ話を聴く。

そんな立場を意識していました。

その頃から、私自身は障害のある子どもの母親でもありました。

心の中では、複雑な思いを抱えていたと思います。

それでも患者さんの前では、自分の経験や価値観を押しつけることなく、ひたすら傾聴していた記憶があります。

今、周りには障害のある子どもたちや、その本人たち、お母さんたちがたくさんいます。

その子たちが成長していく姿も知っています。

だから、一人の人間としては、

「障害があることって、そんなに悪いことばかりじゃないよ」

と言いたくなることもあります。

でも、もし自分が同じ立場だったら……。

やっぱりものすごく不安になると思う。

同じ遺伝子異常でも、ダウン症でも、抱えている疾患や症状は一人ひとり違う。

その子が本当に持っているものは、それぞれ違う。

だから、無責任なことは言えない。

一方で、「障害があるなら淘汰すればいい」という一辺倒な考えだけでも、何も生まれないんじゃないかなと思う。

私だって、今でもいわゆる「普通」に憧れることがあります。

それは否定できない。

でも、息子がいたからこそ知ることができた世界が、ごまんとあります。

人とのつながり。
たくさんの素敵な出会い。
お友達とのつながり。
そして、今の仕事。

息子がいなかったら、きっと出会えていなかった人たちや、知らなかった世界がたくさんあります。

本当に、息子に教えてもらったことがたくさんたくさんある。

もちろん、こんなことを言っていても、どん底の時期もいっぱいあります😂

今日の朝だって、若干言い合いになったし、
イライラもした。

今でも感情の振れ幅は、
かなり大きい方だと思う。

でも、

今あるこの現象を「ありがたい」
と感じるかどうかは、自分次第なんだと思う。

同じ一日でも、
「なんでこんな大変なんだ」と思うこともできるし、
「今日も無事に一日を過ごせた」と思うこともできる。

その小さな振動を感じられるかどうか。

今日は、自分が元気なこと。
生かされていること。
家族が元気なこと。
自分の時間をもらえていること。
元気に仕事ができること。

そんな当たり前のようなことに、ちゃんと感謝して生きようと思う。

胸のハートに意識を向けて、

「今日もありがとう」

と声に出して。

完璧じゃなくていい。
揺れながらでもいい。

今日という一日を、今日の自分で生きる。

そんなことを、改めて思う朝です。



この記事を読んでいたら、
息子の保育園時代を思い出した。



もちろん、息子はその頃から加配付きの支援枠、今もですがいわゆる「ガチの支援が必要な子」でした。

そんな息子の写真を久しぶりに見返していたら、ある日の一枚に目が止まった。

なんと、カブトムシを手のひらに乗せて、ものすごく得意げな顔で写っている😂

先生たちやクラスのお友達から
「すご〜い!」
って言ってもらったのが、よほど嬉しかったんだろうな。

いつもは「お世話される側」だった息子。
だからこそ、この時は自分がみんなに「すごい!」って言ってもらえる側になれたことが、嬉しかったんだと思う。

今振り返ると、あの園は、息子を急かすことなく、できないことを無理にさせることもなく、温かく、ゆっくり見守りながら支えてくれていたんだなと思う。

「みんなと同じようにできるように」ではなく、
「この子なりのやり方で、できた!を増やしていく」。

その環境のありがたさを改めて感じる。

カブトムシを手に乗せて、
ちょっと誇らしげに笑っている。

あの頃の彼にとっては、
「自分もできる」
「自分もすごいって言ってもらえる」
あんまり意味はわかってなかったかもだけど
そんな小さな、でも大きな成功体験だったんだろうな。

新聞の記事をきっかけに、
そんなことを思い出した朝でした。

ずっと気になっていて、いつか参加したいと思っていたエグモント・ホイスコーレのイベントへ行ってきました。




「今なら行ける!」と思った瞬間に申し込みました。私にはいつか元気なうちに息子と一緒に北欧のインクルーシブ教育を実際に見に行きたいという目標があります。もちろん日本とは文化も制度も違いますが、その考え方や実践から学べることは多いはずです。

普段、訪問看護では障害のあるお子さんや不登校のお子さんと関わっています。だからこそ、「学校ってそもそも何のためにあるんだろう」「子どもにとって学ぶとはどういうことなんだろう」と、自分自身の問いを持ちながら、講演を食い入るように聞いていました。

印象的だったのは、デンマークでも不登校が社会問題になりつつあるということ。そして意外だったのは、「教室へ戻ること」も大切な支援の一つとして考えられているという話でした。

一方で、学びの考え方はとても興味深く、テストはほとんどなく、「テストのために学ぶ」のではなく、「知りたいから学ぶ」という環境づくりが大切にされているそうです。

さらに、
・自分で選べる時間があること
・自分の意見を聞いてもらえる場所があること
・「自分にもできた」という実感を積み重ねられる環境であること

そんな土台づくりをとても大切にしていることが伝わってきました。

エグモント・ホイスコーレでは、障害の有無に関わらず、一緒に活動し、一緒に社会をつくっていくことを大切にしています。その中で、「自分はどこまでできるのか」という境界線を知り、それを周囲と共有しながら、民主主義や共同決定を学んでいくそうです。



そして、その土台は幼い頃から家庭で育まれるものだという話が、とても心に残りました。

講師の先生が「譲らないところは譲らない」とお話しされていて、その考え方にはとても共感しました。

私自身も、障害があるからといって何でも特別扱いするのではなく、「やるべきことはやる」という姿勢は大切にしてきました。

例えば、
家に帰ったら靴をそろえる、文字盤を決まった場所に掛ける、デイサービスの荷物を所定の場所へ置く、リュックから必要な物を出してキッチンへ持っていく——そんな日々の小さな積み重ねです。

一見当たり前のことですが、その積み重ねが「生活する力」につながるのだと思っています。

そして最後に、とても印象に残った言葉があります。

「自由には責任が伴う。」

この言葉を聞いたとき、高校時代の校訓だった「自由と創造」を思い出しました。

制服もなく、勉強するかしないかも自分次第。でも、その結果もすべて自分で引き受ける。振り返ると、高校生活、そして浪人生活を含めた4年間で、本当の意味で「自由」とは何かを学んでいたのかもしれません。

自由とは、何をしても許されることではありません。ある程度のルールや枠組みがあって、その中で自ら選び、その結果に責任を持つこと。特に未成年のうちは、そのことを大人が丁寧に伝えていく必要があるのだと改めて感じました。

実は今、息子の進路について本当に悩んでいます。選択肢が決して多くない中で、どの道を選ぶことが本人にとって幸せなのかを考え続けています。

だからこそ、今回のお話は教育だけでなく、息子の将来についても深く考えさせられる時間になりました。

また、隣に座った教育関係の方々ともお話しする機会があり、ABAの話題で盛り上がったり、東京の教育事情を教えていただいたりと、とても濃く、アカデミックで刺激的な時間を過ごすことができました。

やはり、時にはこうした場に足を運ぶことは大切ですね。

好奇心を持ち続け、刺激を受けるだけでなく、今度はそれを誰かに還元できる存在でありたい。

今回学んだことを、スタッフへ、利用者さんへ、そして保護者の皆さんへ、どのように伝え、日々の支援に生かしていくか。

そんなことを考えながら帰路につきました。

2泊3日の中学校最大のイベント、
修学旅行から無事に帰ってきました。



何より、旅行中に学校から連絡が入ることもなく、本当にほっとしました。

帰宅後、先生から「楽しんでいたと思います」とお聞きし、とても安心しました。ディズニーではチャレンジしてビッグサンダー・マウンテンにも乗ることができたそうです。途中からは固まってしまったようですが、それも含めてよく頑張ったなと思います。

大きく崩れることなく3日間を過ごせたのは、先生方をはじめ、支援級のお友達など、支えてくださった皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

帰宅後は少し疲れた様子もありましたが、いつものペースで過ごしています。「伊豆急行バスで帰ってきた」「そのバスは今ごろ静岡県にいるかも」「また伊豆急行バスに乗りたい」「今度はパパと東京に行きたい」など、特性全開の話もたくさん聞かせてくれました。それだけ楽しかったのだと思います。

国会議事堂では、リクエストしていた高市早苗さんのクリアファイルは買えなかったようですが、ポケモンセンターでお菓子を買ってきてくれたので、それだけで十分うれしかったです。

帰りのバスで見たビデオのことや、「都庁ラーメンが一番おいしかった」といった思い出も話してくれ、以前より修学旅行の出来事を自分の言葉で伝えてくれるようになったことに成長を感じました。

今回の修学旅行は、本人にとっても家族にとっても大きな一歩でした。支えてくださった先生方、支援級のお友達、そして関わってくださったすべての皆さまに、心より感謝いたします。
障害児の母は、何を目指して子育てをするのか

障害のある子を育てていると、一度は考えるのではないでしょうか。



「この子の将来のために、今何をしたらいいんだろう」
「どこを目指して頑張ればいいんだろう」

私自身、重度知的障害のある息子を育てながら、15年以上その問いと向き合ってきました。

私なりにたどり着いた答えは、とてもシンプルです。

究極の目標は、自分らしく幸せに生きること。

そしてそのための「自立」とは、決して何でも一人でできるようになることではないと思っています。

必要なサポートを受けながらでもいい。
できることを少しずつ増やしながらでもいい。

好きなことを楽しみ、安心できる人たちに囲まれながら、毎日を穏やかに過ごしていくこと。

それも立派な自立です。

もちろん将来を考えれば、仕事というテーマも出てきます。

一般就労を目指す子もいるでしょう。
障害者雇用の道を歩む子もいるでしょう。
福祉就労がその子に合っている場合もあります。

でも私は最近思うのです。

一般就労だから幸せ、福祉就労だから不幸せ、ということではない。

本当に大切なのは、その子に合った場所で、その子らしく生きられることなのではないでしょうか。

私も以前は、なかなか現実を直視できませんでした。

「もしかしたら一般就労できるかもしれない」
「もっと頑張れば追いつけるかもしれない」

そんな思いで走り続けていた時期があります。

それ自体が間違いだったとは思いません。

本人がやりたいと思えていることなら、挑戦することは素晴らしいことです。

ただ、今振り返ると一つだけ確信していることがあります。

本人の力と、周囲が求めるレベルが大きく離れてしまうときが、一番苦しい。

親も苦しい。
子どもも苦しい。

そのことを私は子育てを通して学びました。

だからといって、諦めるという意味ではありません。

大切なのは、

「今この子には何が必要なのか」

を見続けること。

将来につながる視点を持ちながらも、

「今計算ができないと」
「今文字がきれいに書けないと」
「この学年だからここまでできないと」

と周りと比較し続けてしまうと、親子ともに苦しくなってしまいます。

人はどうしても比べてしまう生き物です。

私もたくさん比べてきました。

「同じ障害があっても、あの子はできているのに」
「どうしてうちの子は」

そんな思いを抱いたことも何度もあります。

だから、比べてしまう自分を否定する必要はないと思っています。

それは自然な感情だからです。

ただ、その感情を子どもへの要求や強要に変えてしまうと、親も子どもも疲れ果ててしまいます。

偉そうなことを書いていますが、私自身も本当にたくさん詰め込んできました。

療育。
習い事。
訓練。

時間単位で予定を埋めていた時期もあります。

今でもその傾向がゼロになったわけではありません。

でも、息子が18歳に近づいた今、少しだけ肩の力が抜けてきた気がします。

もっと笑って過ごせたらよかったな。

もっと一緒に楽しめたらよかったな。

そんなことを思う日もあります。

だから、小さなお子さんを育てているお母さんたちに、簡単に「引き算をしましょう」とは言えません。

将来への不安があるからこそ、一生懸命になる気持ちがよく分かるからです。

でももし、

「最近ちょっと詰め込みすぎているかも」

と思ったら、時々でいいので綱を少し緩めてみてください。

この子は本当に楽しんでいるかな。

この子が心から好きなことは何だろう。

そんな目線で見つめる時間があってもいいのかもしれません。

親だけでは気づけないこともあります。

保育園や幼稚園の先生。
学校の先生。
療育の先生。

そして訪問看護のスタッフ。

第三者だからこそ見える、その子の魅力や得意なこともたくさんあります。

時には周りの力を借りながら、その子らしさを探していけたらいいですよね。

子育てに正解はありません。

だから今日も悩むし、迷うし、比べてしまう日もあると思います。

それでも最後に振り返った時、

「大変だったけど、たくさん笑ったね」

そう言える親子でいられたら。

それが私にとっての障害児育児のゴールなのかもしれません。