競走馬ディープスカイ(Deep Sky)



品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:栗毛
生誕:2005年4月24日(3歳)
登録日:2007年
父:アグネスタキオン
母:アビ
母の父:Chief's Crown
生国:日本(北海道浦河町)
生産:笠松牧場
馬主:深見敏男
調教師:昆貢 (栗東)
生涯成績:11戦4勝
獲得賞金:3億5140万1000円
(2008年6月1日現在)
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ディープスカイ

ディープスカイ(Deep Sky)は日本中央競馬会に登録されている父内国産の現役競走馬である。


馬名は冠名の「ディープ」と英語で空を意味する「スカイ」が由来となっている。


「澄み切った大空」という意味でもある。


母のはとこにタップダンスシチーがいる。


2008年の毎日杯、NHKマイルカップ、東京優駿優勝馬。

ディープスカイ 経歴 2歳(2007年)

8月頃に昆貢厩舎へ入厩し、10月8日に行われた京都競馬場での新馬戦がデビュー戦となり松田大作が騎乗して2番人気に支持されたが結果は4着だった。ちなみにこのレースの勝ち馬はエーシンフォワードは後にアーリントンカップで再戦することになる。続く11月4日の未勝利戦と11月24日の未勝利戦はそれぞれ武豊に乗り替わったが共に2着、さらに12月16日の未勝利戦では野元昭嘉が騎乗して初の1番人気に支持されたがまたも2着で未勝利馬のまま2歳を終えた。


ディープスカイ 経歴 3歳(2008年)

この年初戦は1月13日の未勝利戦で藤田伸二が初騎乗して2戦連続で1番人気に支持されたがディアデラノビアの半弟のマゼランに敗れて9着、そして1月26日の未勝利戦でも藤田が騎乗して4番人気でレースを制しデビュー6戦目で初勝利を挙げた。昇級初戦の3歳500万下のレースでは津村明秀が初騎乗して3番人気で2着、続く格上挑戦で重賞初出走となったアーリントンカップでは幸英明が初騎乗し10番人気ながら新馬戦で敗れていたエーシンフォワードとアタマ差で3着に入った。


そして3月の毎日杯では四位洋文が初騎乗し、6番人気でレースを制して重賞初勝利を挙げオープン馬となった。


毎日杯後は皐月賞を回避し、四位を鞍上としてJpnI初挑戦となるNHKマイルカップに出走した。レースでは単勝1番人気に支持されスタートも良く好位置につけ、直線で馬場の中央を突き抜け、2着のブラックシェル以下を引き離しJpnI初勝利を飾った。この勝利は厩舎、馬主、生産牧場にとってもJpnI(GIを含めて)初勝利となった。


レース後、四位は「是非、この馬で東京優駿に出たい」と昨年のウオッカに続きディープスカイで東京優駿連覇に意欲を示す発言も行い、5月15日に関係者間の協議の結果、正式に東京優駿に出走することが発表された。


東京優駿では不利とされる1枠1番からの最内枠発走であったが、道中は内を追走して、第四コーナーのあたりで外へ進路を取り、直線では内で先行していたスマイルジャックを残り1ハロンで捉えて先頭に立ち、2着以下を差しきって第75代東京優駿馬の栄冠を勝ち取った。


尚、毎日杯優勝からのNHKマイルカップ、東京優駿の連覇(変則二冠)は、2004年のキングカメハメハ以来、史上2頭目となり、鞍上の四位洋文は前年の東京優駿においてもウオッカに騎乗してレースを制していたため、史上2人目の東京優駿連覇を達成した。


ディープスカイ エピソード

NHKマイルカップ後の検量室前で当馬に騎乗していた四位が、ガッツポーズをした際に落馬するアクシデントがあった。落馬した際に四位は負傷し、その後右手関節捻挫と診断され当初予定されていた第12レースへの騎乗を取りやめた。


ディープスカイ 馬主 深見 敏男

深見 敏男(ふかみ としお)は、株式会社建重製作所代表取締役社長で、日本中央競馬会(JRA)と地方競馬全国協会(NRA)に馬主登録されており、冠名は「ディープ~[1]」、勝負服の柄は青、白玉霰、白袖青二本輪を使用している。株式会社建重製作所専務の深見昌代と同会長の深見富朗も馬主である。


2004年頃より馬主の資格を得ているが所有馬は少ない。しかし2008年春時点で所有した3頭のうち2頭が重賞馬となっている。


2008年、ディープスカイ号でNHKマイルカップ、そして中2週で臨んだ日本ダービーを勝利。氏がダービー時点、中央競馬で所有している唯一の馬でのG1連勝となった。


ディープスカイ 調教師 昆貢

昆 貢(こん みつぐ、1958年6月14日 - )はJRA・栗東トレーニングセンターに所属している元騎手の調教師である。北海道出身。


ディープスカイ 父 アグネスタキオン

アグネスタキオンは、日本の元競走馬で現役種牡馬。皐月賞などに勝利した。全兄は2000年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬のアグネスフライトである。母アグネスフローラは桜花賞優勝馬で優駿牝馬2着。祖母アグネスレディーは優駿牝馬優勝馬。母、祖母、兄は同じ河内洋騎乗でGIを制している。名の由来は冠名+超光速の粒子「タキオン」(Tachyon)。


ディープスカイ 父 アグネスタキオン 戦歴

デビューは比較的遅く2000年12月の阪神芝2000m新馬戦となった。アグネスフライトの全弟ということで注目を浴びたものの、調教タイムが目立つ数字ではなかったため3番人気にとどまった。だがレースでは、ただ1頭上がり3ハロン33秒台で、2着リブロードキャストに3馬身半差で圧勝。3着にメイショウラムセス、5着に1番人気のボーンキング、9着にアドマイヤセレクトと有力馬、良血馬の集まったレースだった。


2戦目に選んだラジオたんぱ杯3歳ステークスはさらに相手が強化されたが、2歳2000mのレコードタイムで圧勝。2馬身半差の2着はジャングルポケット、3着はクロフネと、のちのGI優勝馬が1着、2着、3着を占めるハイレベルな一戦であった。


翌年、年明け初戦に選んだ弥生賞は不良馬場となったが、2着のボーンキングに手前も変えずに、5馬身差で勝利した。4着にはマンハッタンカフェがいた。


年明け二戦目はクラシック第一弾となる皐月賞で、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に応えて快勝。2着ダンツフレーム。これで4戦全勝、しかもいずれも危なげのない内容での勝利であったことから、三冠は確実との声もあったが、5月2日に左前浅屈腱炎を発症し、東京優駿出走を断念。その後社台ファームに放牧されたが、関係者協議の上で引退が決定し、8月29日に引退発表がなされた。9月30日には阪神競馬場で引退式が行われた。


同馬が下した同世代の馬がのちに活躍を見せたため、同馬の評価は引退後も高まっていき、「幻の三冠馬」と呼ばれることもある。ジャングルポケットが勝った東京優駿のテレビ中継で、「ジャングルポケットがゴールした瞬間に、2馬身先にアグネスタキオンが走っている姿が見えた」と、ある解説者が発言していた。また、完勝に見えた皐月賞であるが、鞍上の河内洋は「この馬本来の走りではない」とコメントしている。


屈腱炎を発症した左脚は、不安を抱えていた右脚をかばって発症したという意見もあり、特に、極悪の不良馬場で行われた弥生賞に原因があるという意見もある。


ディープスカイ 父 アグネスタキオン 引退後

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。初年度産駒のデビューした2005年に、中央競馬の夏のローカル開催で複数の産駒が次々と勝利を飾り、最終週には東の新潟2歳ステークスでショウナンタキオンが優勝、西の小倉2歳ステークスでもトーホウアモーレが3着という活躍を見せた。中央開催に移ってからも産駒は優秀な走りを見せ、初年度産駒は中央競馬の2歳戦で合計27勝をあげた。このような活躍を背景に、2006年の種付け料は前年の500万円から1200万円になった。2006年には二世代の産駒で中央競馬において91勝を挙げ、初年度産駒のロジックがNHKマイルカップを制し、これが産駒のGI初勝利となった。2007年の種付け料は800万円の予定であったが、2007年のシンザン記念でアドマイヤオーラとダイワスカーレットがワンツーフィニッシュを決めたことも受けてディープインパクトと同じ1200万円に変更された。2007年12月13日に2008年の種付け料は1000万円に設定されたことが発表された。


ディープスカイ 父 アグネスタキオン 産駒の傾向

所謂「ハズレ」が少なく、勝ち上がり率や掲示板確保率が高い。距離にはある程度の融通が利くが、主戦場はマイル~中距離で、芝・ダートの別は問わない。現在のところ芝で多くの勝ち星を挙げ、荒れた馬場や渋った馬場が苦手な産駒も見られるものの、芝で勝ちあぐねてダート転向後に変わり身を見せるようなダート適性のある馬もみられている。さらには、2歳の早い時期から3歳春のクラシックにかけて活躍できる仕上がりの早さも備えている。しかし、その一方で父同様体質の弱さに悩まされる産駒も多く、使い減りする傾向が見られる。