前に、復興 活動に入っていけない理由として、盛岡は内陸で、津波被害を受けた三陸沿岸部とは環境が違い、盛岡の人々も引け目を感じている、と言う話は書いた。さらに、パーソナルな理由も分かって来た。
ソロキャンプ芸人、ヒロシの対談を聞いていて、1人でいること=クラスの中心に入っていけないことに罪悪感を感じさせられる風潮が辛かった、と言う話があり、ヒロシ側の人間としては、復興活動にもそうした学校のクラスのようなヒエラルキーを感じてしまうのだと思う。
復興関連番組を見ていると、生活の中心は家族であったり、学校の友だちであったり、コミュニティである。コミュニティからはみ出ている人間は復興番組では出てこない。
もちろん、復興活動には協力が欠かせないので、コミュニティあってのものではあるが、復興ではコミュニティからはみ出した人々は救われないのだなあ、と思えてしまう。
そう言う人は一度は地元を離れてみるだろうが、新しい地でうまくいくとも限らない。
もっと、肩に力の入った大文字の復興活動だけでなく、ボッチ好きの人、大勢で食事するよりボッチ飯が安心する類の人、の小文字の復興活動もあっていいのではないか。自分がやってるひとりレイヴもそんな意識がある。コロナによるディスタンスの話もあるが、クラブでテクノハウスのパーティがないからひとりでやっている、と言うのもあるし。
ソロキャンプ芸人、ヒロシの対談を聞いていて、1人でいること=クラスの中心に入っていけないことに罪悪感を感じさせられる風潮が辛かった、と言う話があり、ヒロシ側の人間としては、復興活動にもそうした学校のクラスのようなヒエラルキーを感じてしまうのだと思う。
復興関連番組を見ていると、生活の中心は家族であったり、学校の友だちであったり、コミュニティである。コミュニティからはみ出ている人間は復興番組では出てこない。
もちろん、復興活動には協力が欠かせないので、コミュニティあってのものではあるが、復興ではコミュニティからはみ出した人々は救われないのだなあ、と思えてしまう。
そう言う人は一度は地元を離れてみるだろうが、新しい地でうまくいくとも限らない。
もっと、肩に力の入った大文字の復興活動だけでなく、ボッチ好きの人、大勢で食事するよりボッチ飯が安心する類の人、の小文字の復興活動もあっていいのではないか。自分がやってるひとりレイヴもそんな意識がある。コロナによるディスタンスの話もあるが、クラブでテクノハウスのパーティがないからひとりでやっている、と言うのもあるし。