まあ、昔からエリートに対するノンエリートの反感はあった。いわば、反知性主義とは昔からある階級闘争のバリエーションの1つだと考える。しかし、以前はエリートは本気で打倒する相手ではなかった。ノンエリートがエリートの仲間入りをすること、つまり彼らの側に入ることを夢見ていた(いわゆるアメリカンドリームとか)。現在は、本気でエリートを打倒し、ノンエリートがノンエリートのまま権力の座に着こうとしている。それがドナルドトランプである。
 そもそも、選挙で自分たちの代表を選ぶ代表民主主義は、エリートに対する信頼によって成り立っている。しかし現在はその信頼もなくなった。
 もしエリートを本気で倒したらどうなるか。その答えは「プロレタリアート独裁」を目指した共産主義だろう。結局、民衆のための政治どころか、王政より過激な独裁政治がまかり通ることになり、粛清と言う名前で大量の殺戮が行われた。
 政治的に高い地位にたどり着いたエリートが私利私欲に走って信頼を失うことなど、そんなものは人類の歴史の初期から存在する。エリートを本気で倒したところで問題の解決にはならない。エリートとノンエリートの対立はあっても、その対立の中で牽制し合うバランスが保たれていることが一番良い方法ではないのか。