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DJ MIKO blog

BASKETBALL & STREETBALL


- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

 


“振り返るな”

 

最後尾のメンバーが実際にそう声に出した戦慄の住宅街を潜り抜けて、DYCKMAN PARKに無事到着。
SUMMER LEAGUE初日の対戦を見学します。

 

さきほどマンションの窓から顔を出してこちらを睨んでいた人達とは裏腹に、主催者であるKennyは笑顔で歓迎してくれました。

 

そしてコートの隅を見ると、AND1 Mixtape Vol.6でフューチャーされ、世界中にその名を轟かしていたAlimoeの姿が。普通に試合を観に来ていましたね。やはり流石NYです。
 









試合開始時間の18:30。
しかし両チーム全然集まっておらず、30分ほど遅れた19:00過ぎに1試合目がようやくスタート。

 

とんでもなくレベルの高い試合はもちろん、写真や映像で観ていた憧れの風景に魅了される一同。
MCも務めるKennyがハーフタイムに我々の来訪、そして2日後からのゲームのアナウンスもしてくれましたね。









個人的には、日本で自分がやっている方法とは大きく異なるDJスタイルに、ずっと聞き耳を立てていました。
 
アップやハーフタイム、タイムアウト時は曲を流していますが、試合中は基本無音。そして試合の山場や盛り上がり所だけ、狙いを澄まして曲を投下。1プレーか2プレーくらいでまた無音へ。

そんな目から鱗なやり方でしたが、DJのタイミングを読むセンス、かかった曲に即座に反応する観客のノリや音楽リテラシーの高さに感動。

映像では絶対に味わえない、まさに現場ならではの体験です。





遅れて試合が始まったせいもあり、どんどん暗くなるDYCKMAN。

 

“夜遅くなる前に帰った方がいい”

 

心優しい地元の方からの助言もあり、この日は1試合目が終わると同時にそそくさと退散しました。
 
しかも後で知った最短の駅ではなく、なぜか行きに使用した遠くの駅に向かうことなり、競歩ばりの早歩きで駅に到着。なんとか改札へ滑り込んだのでした。

 




2005年6月14日。
明日の試合に向けて午前中から「BASKETBALL CITY」にてみっちりとチーム練習を行いました。

 

トータル4時間に及ぶ練習だったので、自分とハナワ君は撮影をしつつも、隣のコートで1on1をして遊んでいました。

そしてさらにその隣のコート、1人で黙々とワークアウトをしている人がいましたが、どこか見覚えが。



その人物は、当時のAND1の花形ボーラーであったHeadacheでした。
流石NYです。
 
FEBチーム練習、自分とハナワ君のぐだぐだ1on1、Headache個人ワークアウト、そんな奇妙な並びがその時BASKETBALL CITYに生まれていましたね。









チーム練習に続いて個人練習も行い、14時過ぎにさくら亭に帰宅。
NYに着いてから休息らしい休息はなかったので、夕方からは完全オフ。目の前のコートで軽く動かすメンバーもいれば、ひたすら寝続けるメンバーもいました。

明日はいよいよ初戦を迎えます。

 





運命の日、2005年6月15日。
試合は夜なので、コンディショニングの為に目の前のコートへ。
すると朝から地元の人が普段着のままでバスケをしていたので、一緒に軽めのゲームをして汗を流し、その後は前日のオフ時に発見した近場のストリートコートへ全員で出発。








そこは立ち並ぶアパートメントの隙間にある、とても趣のあるコート。
素晴らしすぎる環境で上機嫌にFEB同士でゲームをしていると、地元の高校生が大勢で登場。

 

自然な流れでゲームをしましたが、当然こちらが圧倒的で、向こうが途中で投げ出してしまいましたね。





適度に体も動かせたので、さくら亭に戻って試合直前のミーティングです。
常に“撮れ高”を意識しているAJが、ひとりひとりに今の想いや意気込みを語らせます。

そして、NYでの経験を日本のシーンに還元する、その目的を改めて確認して1時間ほどのミーティングは終了。時刻は16:00過ぎ。
 








各人準備をして17:00にいざ出発。
夜も深まり始める20:00からの試合に向けて、再びDYCKMANを目指します。
 
そして、リーグが我々に用意した最初の対戦相手。それは地元の若手有望選手を集めたイケイケのチーム、その名も

 

「Da Young Ones」

 

つづく>