DJ MIKO blog -18ページ目

DJ MIKO blog

BASKETBALL & STREETBALL


- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。




2005年6月12日。NY到着翌日の朝を迎えました。

 

「さくら亭」の収容可能人数を若干超えており、2段ベッドやロフト以外にも、廊下の隅や階段の下のデッドスペースにマットを敷いての宿泊です。過ごしやすい気候で助かりましたね。






近所のDELIなどで朝食を済ませ、目の前のコートで渡米後の初バスケです。
そこで“今みんなでニューヨークにいるじゃん”と改めて実感し、朝ののどかな時間を過ごす地元の人達をよそに、ハイテンションで軽めのゲームをしたのでした。









そしてこの日の予定は、2手に分かれての“パーク巡り”です。

 

自分はAJ、JUN、KENJI、TANA、K-TAのチームに帯同。
MetroCardを購入し、色んな映画で散々見ていたNEW YORK CITY SUBWAYに乗ってパークを目指します。







まず向かったのは「WEST 4th STREET COURTS」。
最寄り駅の出口のまさに目の前にあって驚きましたね。
 
世界一有名なストリートコートのひとつを目の当たりにして感動しましたが、この日はジュニアの大会が行われておりプレーはできず、別のパークへ。

 

そして海沿いのパークなど数ヵ所行きましたが、時間が早かったせいかどこも人が全然いませんでした。ならばと最終目的地と考えていた「RUCKER PARK」へ早々に向かうことになります。





“治安が悪い地域のパークほどレベルが高い”

 

そんな話も聞いていたので、近くの駅を降りた時から若干緊張気味の我々。
無事到着すると、同コートで毎年開催されるSUMMER LEAGUE「EBC (Entertainer's Basketball Classic)」のトライアウトが行われていました。それを取材に来ていた地元TVの取材を受けつつ、トライアウトを見学し、終了後に始まったピックアップゲームに参加。





ひとしきりプレーした後、暗くなる前に帰ろうとすると、コートサイドでずっと撮影していた白人のカメラマンが話しかけてきました。我々の滞在の目的を伝えると、興奮気味に“ぜひ撮影させてくれ”と言ってきました。面白そうな被写体と思ったんでしょうね。

 

こちらとしても多くの写真が残せるのは助かるので、白人カメラマン=STANLEYが今回のクルーの一員に加わります。
本当に幸運な出会いです。




2005年6月13日。
AJ、KENSAKU、自分は、凛太郎さんに連れられて、今後の予定についてのミーティングを行いにNIKE NEW YORKに行き、帰りには「NIKE TOWN」へ。デパート内が全てNIKE商品、そんな規模の店内に圧倒されましたね。








一方その頃、他のメンバーは、マンハッタンブリッジ近くの港にある施設、その名も「BASKETBALL CITY」にて練習をしていました。
 
フルコート6面という超大型のGYMです。ここには後日また練習をしに訪れますが、その際に驚きの人物と居合わせることになります。








その後、双方がさくら亭に戻り合流。
そしてこの日にリーグ初日を迎える「DYCKMAN PARK」を見学しに出発です。現地に詳しいSHINOBOOさんとはコートで落ち合うこととなり、我々だけで向かいました。

 

スマホもない時代、紙の地図を見ながらとりあえず全員でSUBWAYへ乗車。“DYCKMAN”と名の付いた駅を目指します。しばらく乗っているうちに自分はあることに気付きました。DYCKMAN駅の数駅前に乗ってきた若者集団が、全員何かを凝視しています。その視線の先には、我々が移動用として支給されていた真っ白のバッシュです。

 

その凝視の仕方に異様さを感じつつも、若者たちは下車。
ひとりホッとしていましたが、周りを見渡せば、中心部を走っていた時よりも乗客人数はまばらになり、客層もいかにも地元民といった人ばかりとなっていました。







そしてようやく目指していた駅に到着。その名も「DYCKMAN STREET SUBWAY STATION」です。

 

ひと気のないプラットフォームから地上へ。
地図を頼りに、駅前の大通りからマンションの立ち並ぶ住宅街の道へ進み、みながこう思います。

 

“何やら空気が変わったぞ”

 

それと同時に、この街に日本人の集団が固まって歩いている、その違和感の大きさに気付きました。
まだ明るいのに何処となく漂う緊張感。さっきのSUBWAYの若者と同じような視線を至る所から感じます。



最初は“なんかやばくね”と笑いながら歩いていたメンバー達。

しかし交差点の逆サイドや、マンション入口の階段などから浴びせられる叫び声を何度も無視しているうちに真顔になり、無言でひたすら真正面を向いていましたね。
 

いま調べると駅からの道のりは15分ほど。それでもあの時は果てしなく長く感じましたが、なんとかDYCKMAN PARKのある大通りに到達。コートの前でSHINOBOOさんと合流した際にこう言われます。

 

“そっちの駅じゃない”

 

もっと近くて、安全な道を通る駅「DYCKMAN ST」を今さら教えられたのでした。



生きた心地のしなかった遠回り街ブラを経験し、我々はいよいよDYCKMAN PARKへと足を踏み入れます。

 

つづく>