- 日本初のストリートボールリーグ誕生編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
日本で最初のストリートボールリーグ、しかもプロのリーグを誕生させるために、我々は運営会社を設立します。
会社の代表は、大手銀行の要職を務めていた金井さん。
これまで勤勉、勤労、堅実に生きてこられたであろう人物なのは、初対面時にお話するとすぐに分かりました。そんな金井さんが、よりにもよって「ストリートボールを扱うベンチャー」などというチャレンジをしようと一念発起したきっかけは、2005年頭のとある交流会でのAJとの出会いでした。
そこでAJのビジョンや熱意に感化され、心の内に元々あった挑戦心とストリートボールの世界観が共鳴し、“一緒にやろう”となったわけです。
社名は金井さんの中で早々に固まっていて、それはFAR EAST BALLERSがこれまでTシャツにプリントしていたフレーズである「FROM THE STREET」。
そして梅雨明け頃には設立準備が開始。
オフィスの場所は新橋に決まったので、港区で法人登記するため、自分が現地の法務局にて同名で同じような事業内容の会社がすでにないか調べに行きました。当然ありませんでしたね。
ロゴ制作、名刺作成、ウェブサイトの制作進行も自分が担当。どれも不慣れで四苦八苦しながらも、本当に胸躍るような日々でした。
この株式会社フロム・ザ・ストリートの最初の仕事となったのは、金井さんの繋がりでお話を頂いたJリーグ「サガン鳥栖」ホームゲーム時の3on3イベントです。日程は2005年8月13日の土曜日。
鳥栖スタジアム前の広場にハーフコートを作り、入場前や帰り際のお客さんに我々のバスケットボールを披露します。その当時の時点でリーグ参戦候補だった選手達を引き連れて、いきなり大所帯での九州出張となったのでした。
ちなみにここで、我々が世の中に初めて披露した記念すべき3on3ゲームの観客は3名。
開始前に会場付近でみんな一生懸命に呼び込みしていましたが、近くを通りかかった老夫婦とTAIKIの友達の御三方だけが温かく見守ってくれました。

開始前に会場付近でみんな一生懸命に呼び込みしていましたが、近くを通りかかった老夫婦とTAIKIの友達の御三方だけが温かく見守ってくれました。

その後、スタジアム内のゲーム開始前に、フラッグを持って入場する“フラッグベアラー”をやらして頂くことに。その大役に勢いよく立候補したものの、かつてない規模の会場に緊張するAJ、ATSUSHI、YOHEI、K-TA。
そして試合終了後、サガン鳥栖サポーターが帰宅するのを見計らって始めた2度目のゲームでは、多くの人達に観戦してもらえましたね。
運営からゲーム内容まで、粗削り極まりないものでしたが、“バスケができる喜び”を全開に発散する若造達のエネルギーだけはお客さんに伝えられたかなと思っています。
この時点では、実際にはどういったレギュレーションでリーグを行うかは決定しておらず、5月のクラブチッタでも行った「BATTLE ON THE COURT」を実施。
毎週月曜の定例会議にてまさにリーグ内容が話し合われている最中でしたが、鳥栖から帰ってきた翌日の定例にて、確信を持って大決定することになります。
ここでの選手達の姿にも大いにインスパイアされたはずですね。
ここでの選手達の姿にも大いにインスパイアされたはずですね。
これまでの話し合いで常に問題となっていた、リーグを継続させる上での根本的な障壁に対する逆転の発想。2005年時点では世界中どこにもなかったバスケットボールの在り方を、我々は発明しました。
そしてその一週間後には、いよいよリーグ名も決まるのでした。
つづく>