【連載】日本のストリートボール史 vol.38 | DJ MIKO blog

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BASKETBALL & STREETBALL


- 日本初のストリートボールリーグ誕生編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。


2005年6月。NYから命からがら帰国したFAR EAST BALLERS。
しかし間髪入れず、年内開幕を目指すストリートボールリーグに向けて、それぞれの立場で奔走します。

 

同時に運営会社の設立も進められるわけですが、その初期メンバーは、この時点では某大手銀行に勤めていた金井さん、KOMPOSITIONの活動も続けながらNIKE JAPANに勤めていた秋葉さん、某TV局に勤めていたダイチ君、そしてAJと自分です。

 

まだなんてリーグ名にするかも見当が付いていない段階でしたが、それに先んじて、リーグではなく“トーナメント”形式で定期的に行われる大会が誕生します。

 

それこそが、KOMPOSTION主催でNIKE JAPAN協賛、代々木公園にて2022年現在も継続している「ALLDAY 5ON5 BASKETBALL TOURNAMENT」です。 


これが最初の紹介テキスト。一生懸命さが溢れる文章です。
“である。”が多くて愛らしいですね。


ロゴができる前のビジュアルはこれです。


そして生まれた最初のロゴは、現在とは少し異なり、王冠と星の要素はなかったシンプルなデザイン。

 

これを制作したのは、秋葉さん同様に、FEBと出会うまではバスケとの接点が全くなかったKOMPOSITIONメンバーの1人である“カトチン(Katoyo)”です。



上部の半円は太陽の1日の動き、つまり“1日中=ALLDAY”を意味したデザインなのですが、初期バージョンだとそれがより分かりやすいかも知れませんね。なので色も太陽を表したオレンジだったのです。
そしてシュートの放物線も同時に表現していると当時聞いた記憶があります。

 

カトチンが初めてバスケットボールに関わるクリエイティブを行ったのがALLDAY。
この日本のストリートボールで最も有名で権威あるロゴを生み出した彼は、現在では様々な大企業のアートディレクションを手掛けています。



第1回のALLDAYが行われたのは2005年8月28日(日)。

 

出場チームはワイルドカードトーナメントから数えると全13チームです。

 

FEB、TEAM-S、勉族というシーンを代表するチームはもちろん、ストリートの若造達、強豪クラブチーム、米軍チームに代々木公園の主など、チームのバリエーションとしては既に豊富でしたね。
ちなみに「BOUNCE」というチームはFEBの練習生達です。


現在では2日間に渡り行われるALLDAYですが、初期の頃は1日で完結していました。
当然世間の認知度はまだ低く、応募チームが多くなかったからですが、これが回数を重ねるごとにどんどん増えていくわけです。

しかし第1回はメインコートのみ使用し、予選含め全13試合。
今ではこれくらいの5on5トーナメントなんて手慣れたものですが、当時はこの規模の大会運営は誰もが未経験。運営側に一体どれだけの労力・体力が必要なのか計りきれていませんでしたね。



そこで音響面も、3MC & 2DJという手厚い布陣。
MCは、当時はすでにTEAM-Sに所属しており、MCの合間にゲームにも出場していたMAMUSHI。そして六本木の夜の街からJIROさん。加えて自分とCHRISの高校の同級生であった“狛江ソルジャー”の3名。

 

一方DJは自分と、当時一緒にクラブでイベントをやっていたDJ TAZ。
MAMUSHIがプレーしながらMCしていたように、自分もビデオ撮影をしながらのDJでした。





現在の華やかな状況とは異なり、まるで駆け出しのラッパー&DJによるクラブイベントの様に、一般のお客さんよりも、大会参加者とその知り合いの方が多かった第1回ALLDAY。しかしだからこそ、ここにいた人達はまさに貴重な歴史の生き証人と言えます。

 

コート上にいる若かりしボーラー達。
その背景に写り込む様々な人物。
日本のストリートボール史における最重要な1日は、言葉ではなく写真を中心にしてお伝えしたいと思います。

 

その数が膨大なため、今回はワイルドカードトーナメントまで。
次回は本選トーナメントの模様です。

 

つづく>