【連載】日本のストリートボール史 vol.37 | DJ MIKO blog

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BASKETBALL & STREETBALL


- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。




2005年6月19日(日)。
急遽決定したBrooklynにある「Rodney Park North」での試合に向け、午前中からパークで練習です。
Dyckmanでの壮絶な2試合を経験しているので、もう特に緊張もなくリラックスした雰囲気の中、チーム練と個人練がじっくり行われました。











試合は18時からだったので16時には出発。
最寄り駅を降りると、これまでに訪れた街とはまた違う趣があり、この都市が色々な表情を持っていることを改めて感じます。NYが人々を魅了してやまない理由のひとつが分かった気がしましたね。

 

そして今回のパークでの大会は、Dyckmanなどと比べると規模の小さなもので、レベルもそこまで高くないとのこと。対戦チームはこの大会の中堅チームです。

 

少し日が傾きかけた日曜の昼下がりの公園に到着。そこの空気は割とまったりとしていて、同じシチュエーションの代々木公園を思い起こさせる雰囲気でした。











しかしながら、「全敗で日本には帰れない」と気合いの入っているメンバー達。

 

Dyckmanのような圧倒的アウェー感はないので、自分達の空気感をまとったままアップを開始します。

 

その様子を見ていて、普段はいつもこんな感じだよな、と思い出しました。これまでの状況がどれほど彼らにとって過酷だったのかを今一度実感しましたね。
 










いざ試合が始まれば、事前に聞いていた通り、FEBが戦えない相手ではありませんでした。

 

Dyckmanでは出場時間に偏りがどうしても発生してしまっていたので、メンバー全員がしっかりとプレータイムを持ちつつ勝ちを目指します。

 

修羅場を経験した各人は、すでに堂々とNYのストリートボーラーと渡り合えるようになっていましたね。Brookynのコートで生き生きとプレーしていました。

 

そして29対35の6点を追うかたちで前半が終了。














正直なところ、これまでの2試合で圧倒的異世界を体験してしまっていたので、ここでの試合はもはや“普通の試合”に感じる自分がいました。贅沢な話です。

 

もちろんコート上で両チームは終始タフプレーを展開し、タイムアウト時のFEB内のやり取りは鬼気迫るものがありました。

 

しかし最終的には74対79でFEBが敗戦。十分勝てた試合を落とした感があり、この負けが一番悔しかったです。

 

それはメンバーも同様。普段と変わらず、負けた後のピリピリした険悪ムードがチームを覆い尽くしていましたが、それもほどほどに、NYでの全試合を終えた開放感が徐々に勝っていくようでしたね。

 

全敗は残念ですが、みんな様々な環境下でよく頑張りました。














そしてこの夜は、やっぱり全員でクラブに出動。痛い目を見たドレスコードは今回はありません。
 
到着したのはお洒落で大きな一軒家。
外観は民家ですが、玄関から入ると新木場スタジオコーストのようなバーカウンターが広がっており、地下に進むとそこがメインフロアになっていました。

 

DJしていたのは、これまたとんでもなく伝説的な人物“DJ Jazzy Jeff”でしたね。
本当にNYは凄いところです。










翌日は唯一の完全自由行動の日。みんなそれぞれ行きたかった場所へ散っていきました。

 

自分はまずSoHoに行って、その後にApolloシアターのあるWest 125th Streetへ。
途中にあったMIXCD SHOPで今回来れなかったKUNIOの為、R&BのMIXを購入です。確か1曲目はTrey Songz「Gotta Make It」でしたね。




そしてとうとう最後の夜。
打ち上げをするべくチャイナタウンへ。

 

タイムズスクエア付近のChinese Deliの山盛りチャーハンは正直食べれたもんじゃなかったですが、チャイナタウンのお店は全ての料理が美味しかったですね。

 

帰宅後は今回の冒険を振り返るミーティングが行われました。
しかしこれまでの疲労と、中華をたらふく食べた満腹感により、AJの熱弁も虚しく半数の人間は堂々と居眠り。
AJから今回の感想を振られて、“なにもっかい言って”と目覚めるのでした。











こうして終わったFAR EAST BALLERSのNY地獄めぐり。

 

一生の記念となるDyckmanユニフォームを、埼玉へ帰る電車の網棚に忘れて早くも紛失した人物もいましたが、とてつもない経験を持ち帰ることができました。

 

あのDyckmanのような空間をいつか日本でも。
その我々の想いと呼応するかの様に、2ヶ月後に代々木公園で初の5on5トーナメントが開催がされます。

 

つづく>