【連載】日本のストリートボール史 vol.29 | DJ MIKO blog

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BASKETBALL & STREETBALL


 

- ニューヨーク地獄めぐり編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。


2003年4月の活動開始当初に掲げていた目標のひとつ。

 

「再来年の夏までにNYに挑戦する」

 

当時は夢物語と言えるような目標でしたが、それから2年の間に、様々な出会いや経験を経て、本当に実現することとなります。

 

FEB結成時から我々の活動を常にウォッチして下さり、初の“結婚式2次会パフォーマンス”もさせて頂いたある方がいらっしゃいました。その方はテレビ朝日にお勤めになっており、スポーツ番組「Get Sports」を担当。その番組内でFEBのNY挑戦を取り扱う企画が通ったのでした。

 

結果的には、様々な事情により、一度番組の最後にダイジェスト映像が流れただけで、ちゃんとしたドキュメントには残念ながらなりませんでした。

 

とは言え、この企画によりNIKE JAPANのかつてないサポートも獲得でき、我々は念願のNYへ行くことになったのでした。


滞在期間は2005年6月11日から6月22日までの12日間。

 

この時期にNYのSTREETBALLはシーズンインして、色々なパークで「SUMMER LEAGUE」が始まるわけですが、そこにFEBが登場。エキシビションゲームをリーグの出場チームと行います。

 

そして我々が挑戦するSUMMER LEAGUEが開催される場所は「MONSIGNOR KETT PLAYGROUND」。 

 

またの名を、「DYCKMAN PARK」。



NYのストリートボールシーンにはトレンドがあって、熱い場所は常に移り変わっていきます。
2000年前後はRUCKER PARKが人気・実力ともにトップでしたが、この頃はDYCKMAN PARKが最もHOTになっていました。

そこに極東代表としてFAR EAST BALLERSが無謀にも乗り込むわけです。


この渡米を控え、ビッグマン不足だったチームにKENJI(比留木謙司)が加入。
また、bjリーグ「東京アパッチ」との契約が内定しており、11月の開幕に向けてFEBの活動から離れていたCOHEYも再合流。

 

現地での戦いをイメージするために、東高円寺にSUNDAY CREWを招き練習試合も実施。テレビ撮影も入った中で行われましたが、結果敗戦となり、重苦しい空気でインタビューが行われましたね。















さらに直前には代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センターにて2泊3日の合宿も行い、いよいよ出発の日。
 
成田空港に集合したメンバーは、事前に提供されていたお揃いの新品のウェアとシューズに身を包んで集合。日本人のストリートボーラーにはまさに破格の待遇と言えます。





そして、テレビ朝日さんもさすがにNYに12日間は同行できないため、ビデオカメラをお借りして自分が撮影を担当。重大任務です。

NIKE JAPANからは、今回も計り知れないご尽力をして下さった凛太郎さんが帯同。NIKE用の記録映像の撮影はハナワ君です。

また、NY側との事前のやり取りをお任せしたSHINOBOOさんには、現地でのコーディネーターとしても同行して頂きました。
 


そして空港のロビーにて今回のルールを配布。
いま見ると大の大人の対して幼稚な内容ですが、しっかりと読んで聞かせメンバーの頭に叩き込みましたね。







13時間のフライト後、空港からそのままシャトルバスに乗車。

 

HIP HOP好きにとって憧れの土地、NEW YORKに自分がいる。車窓から食い入るように街の様子を眺めていましたが、大通りから一本入ったとある裏路地が見えた時、そこの空気感の違いに恐怖したのを覚えていますね。

 

“歩くところを間違ってはいけない”

 

海外のストリートを経験した人達から、実際にそう注意されていましたが、その裏路地の横を通り過ぎながら改めて肝に銘じたのでした。




30分ほどしてシャトルバスを下車。

 

日本の梅雨のような湿気と蒸し暑さ、薄曇りからパラパラ降る小雨を我慢しながら、一行はタイムズスクエア方面へ進みます。

 

向かう先は今回の宿泊施設「さくら亭」。名前の通り日本人向けのドミトリーです。
タイムズスクエアから歩いて10分程度の場所で、偶然にも目の前の公園「MAY MATHEWS PLAYGROUND」にはフルコート1面があり、分かりやすくテンションが上がるメンバー達。







荷物を置いて、ベッドの割り振りも終え、とりあえずタイムズスクエアを拝みに外出です。
完全に観光客となった我々は、NYに着いて最初の食事をするため、近くにあった大型のピザ屋さんへ。

 

みんな美味しそうに頬張っていましたが、自分は日本と異なる味付けや、相当な脂っこさに“12日間持つだろうか”と早くも不安になっていましたね。



こんな1日でしたが無事到着。

 

2003年の春は吉祥寺のシェーキーズで打ち合わせをしながらピザを食べていた我々が、ついにここまで辿り着いたのでした。

 

早速明日から活動開始。DYCKMANでの最初の試合は4日後の6月15日です。
それまでもNYを精力的に動き回るわけですが、その最中、あの言葉を身を持って痛感する羽目になります。

 

“歩くところを間違ってはいけない”

 

つづく>