【連載】日本のストリートボール史 vol.27 | DJ MIKO blog

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BASKETBALL & STREETBALL


- FAR EAST BALLERS奮闘編 -

 

※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。


1月の幕張メッセと子育てメッセも無事終わり、いよいよこの時がやって来ます。
代々木公園バスケットボールコートが現在と同じカタチになる日です。

 

振り返れば、まず2003年9月に陸上競技場側に2基のHOOPが建てられました。
NIKE JAPANによる“HOOPの寄贈”だったので、地面は剥き出しのコンクリートのままでしたね。それでもHOOPLESS NATIONの我々にとっては、余りに貴重な場所となります。







10月13日には贈呈式が行われ、FEBはパフォーマンスと一般参加者とのピックアップゲームをするために登場。

 

そして体育館練習がない日や、イベントのない週末に集まってプレーしたり、雑誌の撮影などでも使用していました。フル活用でしたね。










そしてその状況は2004年の秋まで続き、冬には工事がスタート。

 

ついに地面も整備されちゃんとしたコートになり、しかももう1面がサッカー場側に作られる、そんな夢のような報告をNIKE JAPANから頂きます。

 

その時のNIKE担当者は秋葉さん。NPO法人KOMPOSITIONをやりつつも、当時はNIKE JAPANに入社してHOOP寄贈プロジェクトなどに携わっていたのでした。

 

2004年の年末には一通り工事が終わり、利用可能となったのは2005年の年明け早々です。
利用開始日には早速AJやMATSUと共に行き、嬉しさのあまり写メを秋葉さんに送りましたね。






さらにその後、鉄製の柵がコート周りに設置され、ようやく完全体へ。渋谷の公園にフルコート2面というとんでもない環境が出来上がったのでした。

 

そして2005年2月20日、代々木公園バスケットボールコート初のイベントとなるオープニングゲームが開催されます。




当時、ストリートボール関連のイベントのエキシビションゲームといえば、大抵FAR EAST BALLERS 対 TEAM-S。記念すべきこの日も、日本のストリートボールを代表する2チームによる対決が行われました。

 

MCはMAMUSHI、DJは自分とKENKENさん。
MAMUSHIにとっては、イベント制作会社さんによる進行台本があるような規模のイベントは初めてだったかと思います。
さらにオールコートでフルゲームのMC。この日こそが、ストリートボールMCとして真のデビューだったと言えるかも知れませんね。





とにかく極寒だったこの日。
手と足が震えながらDJしたのを覚えています。

 

渋谷区の議員さんによるティップオフセレモニーが行われ、そのままゲームがスタート。
現在の状況から振り返ると観客はまばらに見えますが、当時の我々からすると、自分達のバスケを誰かが観に来てくれるだけで天にも昇るような気持ちでしたね。なので人が少ないなんて1mmも感じませんでした。




















今回のゲームはFEBが勝利。
当時我々がNIKEに課せられていた、“どこでもいつでも絶対に負けるな”の至上命令をなんとか死守できました。

その後は一般参加者とピックアップゲームをワイワイと行いましたね。






これが自分の知る、代々木公園バスケットボールコートの歴史の始まりの部分です。
次にここでイベントが開催されるのは、季節が移り変わり8月末。ついにアレが始まるわけです。

 

一方、その日が来たる3ヶ月前。

現在ではSOMECITY TOKYOが行われ、代々木と並んで日本のストリートボールの聖地と称される「CLUB CITTA'」にて、FAR EAST BALLERSが画期的なイベントを主催するのでした。

 

つづく>