
いまだ一線で活躍するベテランのストリートボーラーに対して、先日ある人がこう言っていました。
“あいつは辞め時を見失ったな”
これは貶しているわけではなく、言い方には愛情や尊敬が滲んでいましたね。
さらに近年だと、様々なレベルが設定され間口の広い3x3も、腹を空かせた全力疾走型ゾンビ達には有難い捕食の場となっています。
歳を重ねて身体は老いても、メンタルはいまだ20代、下手すれば10代のまま。食欲も高校時代と変わらず。
そんな陽気なバタリアン達が手足がもげてでも我先に飛びつこうとするのが、大好物の牛の皮で作られたバスケットボールです。
プロの舞台であれば必ず明確な引退が訪れますが、ストリートボーラーは一体どうなると引退となり、ただの“バスケ好きの人”へと変わるのでしょうか。
例えば、数年前にはっきりと引退を表明し、新木場スタジオコーストでしっかり引退試合までやったのに、その後も我慢できずに毎回ALLDAYも出るし、シニア日本一を目指して引退前より熱心に練習している大ウソつきがいるように、なんだかんだ結局みんな辞めません。
さらには、日の出と共に毎日トレーニングし続けている謎のアラフォー鉄人なんかもいる始末。
ひとつの定義としては「まだ意地を張れるか」が考えられます。
マッチアップの相手にもゲームにも、油断すると錆びていく身体にも、そしてバスケが隅に押しやられる社会人生活にも、“負けてたまるか”と思えるか否か。
過去の技術でそつなく省エネで立ち回り、もし負けても平然としているとしたら、同じコートでプレーしていてもその人は既にストリートボーラーは引退していて、“昔は凄かったバスケ好きの人”となります。
それが悪いわけでは勿論ありませんが、ゾンビ達はそれでは腹は膨れません。
バスケの美味しくて甘いところをペロリと味見するのではなく、苦い部分も腐りかけの部分にもガブリと喰らい付いて、まさに苦汁をなめながらコートを彷徨い続けるのがストリートボーラー。
ゲームの盛り上がりが加速しだしたここぞの場面で使われますが、要はコート上の色んなマッチアップで「意地の張り合い」が勃発したタイミングです。大の大人達が子供みたいにムキになっているから“男の子”なわけですね。
大抵その後は、“とりあえず俺にボールよこせ”とガチャガチャなゲーム展開と相成りますが、それもまたストリートボール至福のひとときです。


もしかすると「死んだ目」をした現役プロ選手がいる事もあるかも知れませんが、そんな目をした現役ストリートボーラーはいません。
なぜなら仕事でも義務でもなんでもないので、嫌ならすぐに辞めればいいからです。この世の中、他に楽しいことはいくらでもあります。


目だけは生きてるゾンビ達、ムキになれなくなったら天国へ。
連中が1日でも1ゲームでも長くコートに立てますように。そして最後は安らかに。
そんな祈りが込められた鎮魂歌、はたまた念仏みたいなDJをして、ゾンビの体がパラパラと灰に変わる瞬間を見届けたいと思っております。
