〈絞首刑かかって来いや〉秋葉原17人殺傷、加藤智大死刑囚が書いた「人生ファイナルラップ」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
加藤死刑囚のニュースだ
先日死刑は執行された。
秋葉原の事件については勿論知っているし、その日(2008年6月8日 日曜日)
は出かけていて、もしかしたら秋葉原に行っていた可能性があったので、恐怖だったことを思い出す
そして、この加藤智大が行った蛮行は決して許されるものではなく、遺族の悲しみや痛みは消えることは無いだろう。
勿論この加藤智大を庇護するという事では全然ないという前提で聞いてほしい。
彼が残したこのラップと称するリリック
がこちら↓
死刑囚表現展2018年
初めの文春オンラインのニュースと見比べると、全然違う。
ニュースで切り抜かれると、確かに
挑発的であり、事件を茶化すという表現にもなるのかもしれない・・・
が、
先ずラップという表現方法の特徴として韻を踏むということがある。
これは言いずらい事や、直接的にはグロテスクである事もある程度砕けた表現できるという特性があると思う。
ただ、ラップというかリリックにするとどうしても日本人的な考えで言う「ダジャレ」感が出てしまうのは否めない。
ただ
原文を見てみると
刻々と悲惨すぎる自分の人生を語る。
父と母を怨み、勉強が出来ないコンプレックスを語る
そして、車への愛着と土屋圭市氏へのあこがれを感じる。
「車だけが俺に陣地」を二回繰り返していることから、車に一種のシェルター感を感じているのか?
そしてそんな車を使い最後に蛮行に至る
そして、逮捕された後の事からこれから起こる死刑の事が淡々と描かれている。
良い悪いとか
死刑囚がとか被害者がとかを一回置いといて
これを作品として見ると
どうしても引き込まれてしまうし
恐怖を感じ、涙が出そうになるほど悲しい。
何故か?
リアルだから
加藤という大罪を犯し、とうてい我々には理解できないサイコパスとして有名になったあの人
全く自分とは住む世界が違うと思っていたあの人のリアル
それが、少しだけ解り理解してしまっている自分が怖くなったのだ。
これが人間の恐ろしさなんだと感じた。
