1990年代後半-2000年代

 

いい時を経て、俺は20歳を迎えた

 

本当に運が良かったと思う。

 

おじいちゃんもおばあちゃんも元気で、家族親戚が仲良くて。

 

でも、もう崩壊は始まっていたんだ

 

 

きっかけとか亀裂は沢山あったけど、決定的な事が起きた

それがおじいちゃんの肺癌

 

昭和を生きて来たおじいちゃんは、タバコもガンガンで、麻雀に行くと雀荘は煙の中が当たり前で、それに加えてガラスを弄っている。

 

 

 

おじいちゃんは、みるみるうちに痩せて行った。

 

最初に入院した地元の病院がインチキで、大きな病院に入院したが、手遅れだった。

 

そしておじいちゃんが自宅療養になった時、俺は軽井沢への就職が決まり、最後になるかもと思い、何度も会いに行った。

おじいちゃんは何時も淋しそうに眼を潤ませた。

 

でも、俺が行ってきますと言うと、血痰を吐きながら

 

「いい嫁を見つけてこい」

 

とだけ言った。

 

おじいちゃんらしかった。

 

 

軽井沢に就職して、その年の冬

 

おじいちゃんが危なくなったことを聞いて、休暇を貰い東京に帰ってきた

速攻で病院に行った。

 

そこで見たおじいちゃんはもう色々な管に繋がれていて、本当に苦しそうだった。

少し話すたびに血痰が出た。

 

泣くまいと我慢した。

 

すると、俺の着ているラルフローレンのトレーナーを指さしてか細い声でこう言った

 

「今日は馬の日だろ」

 

そうだった競馬の日だ。

 

少し笑い病院を後にしてそのまま軽井沢に帰ろうかと思ったが、少し実家に寄ることにした。

 

何となく実家でPCを見ていたら、電話が入った。

 

おじいちゃんが亡くなった。

 

虫の知らせって来るんだなと思った。

 

 

ガラス職人がなんで肺癌になるのか。

すりガラスとか研磨をする時の粒子を大量に吸い込んでいるからだ。

 

灰には無数のガラス片が刺さっていて、光る肺とよばれるほどで

火葬場で焼かれたおじいちゃんの灰の骨はピンク色になっていた。

 

 

絶対的な存在だったおじいちゃんが死んで綻びとか亀裂が一気に広がり始めた。

 

遺産関係で揉めてはいなかったのだが・・・・

色々な歯車がボロボロと音を立てるように壊れて行った。

 

そんなことは知る由もない俺はリゾートで悪戦苦闘していたのだが。