1990年代-2000年

 

家族仲良く

 

年末年始には集まり、お年玉をもらう

 

そんな当たり前な幸せはすでに頂点を迎えて、ゆっくりと確実に下っていた。

 

 

少し前の1980年後半になるが

 

おじいちゃんとおばあちゃんの生まれ故郷

群馬県に連れていかれた。

 

 

おじいちゃんはいい土地を見つけたと言って僕に見せた。

 

ここに家を建てると言った。

 

地元の大工さんに頼んで、平屋の大きな一軒家を建てた

 

見晴らしの良いいい場所であった。

 

おじいちゃんの成功の証

 

 

 

故郷に別荘を建てて、連休や年末年始に親戚一同を集めて、BBQや年越しをした。

 

群馬の別荘にいるときのおじいちゃんは上機嫌だった。

 

夏にはいつもデッカイ西瓜を買ってきて、みんなで甲子園を観た。

 

「あなたの知らない世界」を見て夜の田舎の道が怖くて歩けなくなった。

 

御巣鷹山に日航機が墜落したのがちょうどこの頃だった。

 

 

群馬県の田舎の別荘には俺は休みのたびに遊びに行った。

 

何故なら、実家では買ってもらえなかったファミコンをおじいちゃんが群馬の家に買ってくれたからだ。

 

俺は嬉しくて、夏休みとかGWが来るのが楽しみだった。

 

 

そんな群馬の家には19歳で車の免許を取った時も

「よし行くぞ」

とおじいちゃんのシーマで二人で遊びに行った。

 

群馬の家はいい時の思い出が沢山ある。

 

 

そのあたりが絶頂期だったと思う。

 

 

ある時

 

おじいちゃんの工場が営業所を出すことになった。

というのは形だけで、事実上

親戚の独立だった。

 

この親戚とは母方の兄弟でA家族

 

A家族は分社化という名目で事実上の独立をした。

 

なので、ウチと同じような会社で、資金も最初から潤沢にあり、バックもある。

 

おじいちゃんの反対もない。

 

最高の環境だった。

 

直ぐに、立派な一軒家を建てた。

 

 

この事に怒りをというか嫉妬心を露わにしたうちの親。

 

この時の俺から言わせればただの嫉妬。

 

変な親だなと思っていた。

 

 

A家族にはお世話になり、親戚付き合いの大切さを説かれていたので、俺はA家族の家に度々遊びに行っていた。

そのこともうちの親は気に入らなかったようだ。

 

 

そんな時に俺は20歳になり、一応、親戚一同と家族に盛大にお祝いしていただいた。

 

 

その時が最後の集まりになった。