1980年後半-1990年代
世の中バブルははじけ、不景気が始まった頃
家族の仲が一番いい時期だった。
親戚付き合いも丁度良く
お正月になると、先ず
母方の実家、つまりおじいちゃんの家に親戚中で集まり、親戚だけでなく工場の職人さんの家族も来て、大勢で新年会をした。
時には、焼き肉屋を貸切ったり、ホテルで仰々しくやったりもした。
お年玉も色々な人から貰った。
次に父方の実家へ行き、新年会
ここでも親戚一同が集まり、新年会
親父の実家は、貧乏だったので風呂を後から庭に付けたような家で、狭い路地の片隅にあった。
俺は、幼いながら「格差」というものを肌で感じていた。
でも、
イトコは男が多くて、皆で馬鹿な遊びをやったり、映画「ジョーズ」を観たりして、凄く楽しかった。
そんな幸せの絶頂期のなか、父方のおばあちゃんが癌になった。
俺は幼い頃、両親が仕事で忙しかったので、父方のおばあちゃんが毎日面倒を見に来てくれた。
毎回チーズケーキを買ってきてくれた。
身体が細く喘息もちだったオレは、近所の悪ガキにも、よくいじめられた。
そんな時におばあちゃんがいつも助けてくれた。
まるでのび太の様な話
そんなおばあちゃんが、病院で変わり果てた姿になっていた。
大腸がんだった。
身体中がむくみ、顔は精気を失っていた。
お見舞いに行くときに親父が言った。
「今まで散々苦労してきたおふくろに良い思いをさせてやりたかったから仕事を頑張ってきた」
そういう思いがあったなんて子供の俺には全く分からなかった。
今になって解った。
だから独立を急いだのか。
だから強引に独立をしたのか。
不思議なもので、色々な立場で考えると、その人の気持ちが少しだけ解る気がするのだ。
「その人の立場」
じゃなくて
「色々な人の立場」
でだ。
独立して、親元と和解して、商売がやっと軌道に乗ってきた頃
散々遊び歩いていた旦那を脳卒中で亡くし、育ち盛りの子供を5人も抱え、途方もない苦労をしたおばあちゃん
親父の親孝行は間に合ったけど、足りなかったと言っていた。
小学校6年生の運動会の日
親が迎えに来てタクシーに乗せられ、あの親父の実家に着くと、おばあちゃんはいつの間にか、棺桶に入っていた。
馬鹿な遊びを一緒にしていたイトコ達はみんな集まっていた。
運動会帰りなので体操着の俺は風呂に入ってこいと言われた。
俺は、庭にある掘っ建て小屋の様な風呂で泣いた。
いつも友達のように遊んでいるイトコに泣いているところを見られたくなかったから
