1930年代後半
大正生まれのおじいちゃんは田舎から丁稚奉公で東京へ出て来た。
おじいちゃんはガラス職人
田舎からおばあちゃんを呼び寄せ結婚
1950年代
3人の子供を授かる
時は戦後の昭和
亭主関白真っ盛りのおじいちゃん
オンナ子供関係なく暴力の嵐
そしてギャンブル、酒、たばこ・・・・
当たり前だったらしい。
家では躾と礼儀に厳しく、食事時に肘をついたり片手で食べようものなら、腰のベルトをサッとはずし、鞭のように子供たちを叩いた。
麻雀と競馬とパチンコが好きで、歳をとってからも孫の俺をパチンコや競馬に連れていき、
俺は幼少期に今は無き「手打ち」のパチンコを経験した。
競馬は枠のぞろ目を必ず買い、たまに大金を当てると、皆を寿司屋に呼んで酒盛りをした。
俺が生まれたころにはタバコは吸っていなかったが、それまではタバコを枕元に置いて、寝るくらい(これは喫煙者なら解る)好きだった。
特に麻雀をやりながらは2-3箱吸っていたみたいだ。
だけど
仕事はしっかり丁寧に真面目にやっていて、誰にも真似できないまさに「腕利き」の職人だった。
その証拠に、後に語るが今の僕らの職業がある。
また、営業にも優れていて、丁稚奉公で田舎から出て来たおじいちゃんは最終的に、国営並みの大企業の御客さんを次々に獲得していく。
ただ、
夫婦喧嘩は絶えなかったらしい
今の、夫婦喧嘩と違い、昔の夫婦喧嘩は
母は怒鳴り散らし、父はとりあえず殴る蹴る。
仲直りは強引なまでな肉体関係
こんなことが、日々日常だったと、うちの親とその兄弟が語った。
一度おばあちゃんに聞いてみたことがあった
「なんで逃げなかったの?」
「そんなことで、子供と仕事、投げるわけにいかねぇべ」
「そんなこと」・・・
当時のおばあちゃん世代の女性にとっては「そんなこと」なのだ。
きっと、それだけじゃなく
おじいちゃんは、おばあちゃんに優しかったのだと思った。
その優しさが伝わっていたのだと思った。
当時の職人の世界も半端じゃない
特に丁稚奉公の小僧は文句の一つも言えば殺されてもおかしくない世界だったらしい。
戦争で満州に行ったおじいちゃんは、幼い頃から「生きるか死ぬか」で生きて来た。
今の人生観では語れないものがある。
俺は小学校の宿題でおじいちゃんに戦争の経験を聞いたことがあった。
今でも覚えているのが
「仲間がさ、目の前で何人も自殺するんだよ。こうやって、鉄砲を口にくわえて、足でヒキガネを引くと頭が吹っ飛ぶんだ」
と、教えてくれた。
小学生の俺はその夜怖くて眠れなくなった記憶がある。
そんなおじいちゃんは、一人前になると独立して今の場所に自分の工場を建てた。
それが今のおばあちゃんの家であり、叔父さんの工場なのだ。
おじいちゃんは、その家の各部屋にTⅤを買った。
どの部屋に行ってもTⅤがあるから、おじいちゃんの家にはTⅤが7台も8台もあった。
そして健康だからと雑穀米を食べる人間を馬鹿にして
「おれは白いのしか食わない」
と言っていた。
弟子も10人近くいた
中には丁稚の頃から居る人も多く、「あんちゃん達の部屋」というのがあり、俺は幼い頃からこの「あんちゃん達」に可愛がられた。
3時になると「あんパン」と「コカ・コーラ」をあんちゃん達に出すのだが、それを買いに行くのが、幼い頃の俺の「お手伝い」だった。
順風満帆に行っていた会社だったが、雇っていた経理の女性に10年分の売り上げをそっくり横領され、夜逃げされた経験を持つ。
そんな経験から、
「経理は女房にやらせろ」
という家訓が出来た。
今の時代
その「女房」も金を持って逃げる時代だが・・・・