現代ブラジル最高のギター弾き。Baden Powellの意志を継ぎし、神の子
Yamandu Costa 「Ao Vivo」
アーティスト: Yamandu Costa
タイトル: Ao Vivo
彼との出会いは、衝撃以外の何者でもなかった。そして彼の演奏に触れてDecoyは思い知った。ギターという楽器の本当の意味での奥深さを思い知った。レベルが違うとかそう言う次元ではないのだ。そもそも棲息地域が違いすぎるのです。
「Ao Vivo」はブラジリアン・ガット・ギタリスト、ヤマンドゥ・コスタのセカンドアルバムに当たるベースとドラムとのトリオのライブ盤です。この人まだまだこれからの人です。写真見る限り20第前半といった所です。その為まだ知られていないらしく、日本人でもなかなか知っている人が少ないのが現状です。はっきり言いますが、上手いなんてもんじゃないです。神懸かりの領域です。どこまでがキメでどこまでがインプロなのかさっぱり解りません。
明らかに譜面も活用していると思われる箇所もあるのですが、その殆どは阿吽の呼吸で成り立っているとしか思えないのです。この凄さは一度聴いてもらうしかないのですが、ギタートリオというものの定義を完全に覆してしまっている演奏ですので、ギタリスト諸氏には刺激が強すぎるかも知れません。1曲目「Valsa N1」から全速力、2曲目「O Bem E O Mal」では表現力で大輪の華を咲かせ、3曲目「Vou Deitar E Rolar」では緩急に絶妙なさじ加減を見せる。4曲目「Tareco N1」では円熟味さえ漂わせ、5曲目「Sampa」ではジャンゴ・ラインハルトばりにエスプリを感じさせ、6曲目「Taquito Militar」ではフラメンコの領域で情熱を語るラテン気質です。
7曲目「Disparada」では静かに多くを語ります。小手先ではないその表現力に脱帽。8曲目「Nuages」(そうジャンゴの代表曲)では決定演奏を聴かせてくれます。ジャンゴそのままではない、ちゃんとヤマンドゥ仕様なのにはもう為す術がありません。9曲目「Samba Meu」では高速サンバをもの凄い正確なフィンガリングで聴かせてくれます。しかも一音一音に魂が込められている。素晴らしい。この後も圧倒的な力と、圧倒的な深さで聴く者を支配してしまいます。
日本にSLIPというボストンのジャムバンドがUAとの共演の為に来日したときに、Decoyは同じステージで演奏する機会が有って、その時に色々と楽屋で話したのだが、彼らもブラジルが大好きで、エルメルト・パスコアルと話をして興奮した話しを聴かせてくれた。その時にDecoyはYamanduの事を教えた。なんと彼らはYamanduを知らなかった!彼らは興奮気味にその話しを聴いてくれた。Decoyは購入場所として新宿のディスク・ユニオンのワールドコーナーの事を話したのを覚えてる。
アメリカのプロのミュージシャンにさえ未だあまり知られていないのだ。コレには正直参った。もっと知って貰いたい。Decoyとしては日本での人気が高まり、来日公演という流れを是非実現させたい。
多くの人間が、ギターにより自分の感じるモノを自在に表現することを、求める。それは当然で、その為に技術磨き上げて完成をどんどん研ぎ澄ましていく。しかし、そこには人間として演奏してしまう限界値があるのです。真の意味で自らを解放しないと、自分の外側にある感覚をつかめないのです。それは、自己というものの変容であり完全なる自由を得る為の通過儀礼とも言えるのです。
まず第一に、自分という枠の中に入り他の人間との比較により自らを評価しても意味がなく、超えるべきはまず自分自身の気持ち。音楽に全てを捧げる事を当然と考え、それを自らの使命と考える事です。
そして第二に、自らを含め全てを客観視して、尚かつ高い視点を持って冷静にそして勇気をもって自らの意志で演奏することです。富も名声も求めず、時には一人孤独に壁に向かって最高の演奏をする。見せるための演奏ではなく、神に捧げるための演奏をするという事です。
難しい表現をしてしまいましたが、結局言いたいのは、子供の持つ無垢な音楽えの情熱をそのまま演奏で示せるかという事です。こういうアーティストがぞろぞろ出てくるブラジルの音楽シーンにはいつも驚かされます。
日本とここが根本的に違うところで、日本の演奏家だと「○○ギターコンテスト優勝」なんていう一歩世界に出たら何の役にも立たない肩書きを後生大事にする傾向が有ります。それはジャーナリズムが元凶で、そんな意味のない肩書きをかき立てて超新星の誕生と騒ぐからなのです。しかし日本の聴衆は、バカではないので当然そういう新人が売れる事は無いのです。すると、「日本ではこういうジャンルは難しい」という論点のすり替えがジャーナリズムで行われてしまう。これは非常に残念な事です。聴衆は、格好いいモノを求めているのであって、○○大学卒業とか、そんな事はどうでも良いのです。
もっと本物、そうリアルな感動を日本の特に子供達に見せたい。圧倒的な、もう身じろぎできないおうな感動を見せたい。それはファンタジスタのプレーであったり、メジャーリーガーのプレーと同じですね。早く、音楽の世界にもスポーツと同じ現象が起きることを願うDecoyでした。
Yamandu Costa 「Ao Vivo」
アーティスト: Yamandu Costa
タイトル: Ao Vivo
彼との出会いは、衝撃以外の何者でもなかった。そして彼の演奏に触れてDecoyは思い知った。ギターという楽器の本当の意味での奥深さを思い知った。レベルが違うとかそう言う次元ではないのだ。そもそも棲息地域が違いすぎるのです。
「Ao Vivo」はブラジリアン・ガット・ギタリスト、ヤマンドゥ・コスタのセカンドアルバムに当たるベースとドラムとのトリオのライブ盤です。この人まだまだこれからの人です。写真見る限り20第前半といった所です。その為まだ知られていないらしく、日本人でもなかなか知っている人が少ないのが現状です。はっきり言いますが、上手いなんてもんじゃないです。神懸かりの領域です。どこまでがキメでどこまでがインプロなのかさっぱり解りません。
明らかに譜面も活用していると思われる箇所もあるのですが、その殆どは阿吽の呼吸で成り立っているとしか思えないのです。この凄さは一度聴いてもらうしかないのですが、ギタートリオというものの定義を完全に覆してしまっている演奏ですので、ギタリスト諸氏には刺激が強すぎるかも知れません。1曲目「Valsa N1」から全速力、2曲目「O Bem E O Mal」では表現力で大輪の華を咲かせ、3曲目「Vou Deitar E Rolar」では緩急に絶妙なさじ加減を見せる。4曲目「Tareco N1」では円熟味さえ漂わせ、5曲目「Sampa」ではジャンゴ・ラインハルトばりにエスプリを感じさせ、6曲目「Taquito Militar」ではフラメンコの領域で情熱を語るラテン気質です。
7曲目「Disparada」では静かに多くを語ります。小手先ではないその表現力に脱帽。8曲目「Nuages」(そうジャンゴの代表曲)では決定演奏を聴かせてくれます。ジャンゴそのままではない、ちゃんとヤマンドゥ仕様なのにはもう為す術がありません。9曲目「Samba Meu」では高速サンバをもの凄い正確なフィンガリングで聴かせてくれます。しかも一音一音に魂が込められている。素晴らしい。この後も圧倒的な力と、圧倒的な深さで聴く者を支配してしまいます。
日本にSLIPというボストンのジャムバンドがUAとの共演の為に来日したときに、Decoyは同じステージで演奏する機会が有って、その時に色々と楽屋で話したのだが、彼らもブラジルが大好きで、エルメルト・パスコアルと話をして興奮した話しを聴かせてくれた。その時にDecoyはYamanduの事を教えた。なんと彼らはYamanduを知らなかった!彼らは興奮気味にその話しを聴いてくれた。Decoyは購入場所として新宿のディスク・ユニオンのワールドコーナーの事を話したのを覚えてる。
アメリカのプロのミュージシャンにさえ未だあまり知られていないのだ。コレには正直参った。もっと知って貰いたい。Decoyとしては日本での人気が高まり、来日公演という流れを是非実現させたい。
多くの人間が、ギターにより自分の感じるモノを自在に表現することを、求める。それは当然で、その為に技術磨き上げて完成をどんどん研ぎ澄ましていく。しかし、そこには人間として演奏してしまう限界値があるのです。真の意味で自らを解放しないと、自分の外側にある感覚をつかめないのです。それは、自己というものの変容であり完全なる自由を得る為の通過儀礼とも言えるのです。
まず第一に、自分という枠の中に入り他の人間との比較により自らを評価しても意味がなく、超えるべきはまず自分自身の気持ち。音楽に全てを捧げる事を当然と考え、それを自らの使命と考える事です。
そして第二に、自らを含め全てを客観視して、尚かつ高い視点を持って冷静にそして勇気をもって自らの意志で演奏することです。富も名声も求めず、時には一人孤独に壁に向かって最高の演奏をする。見せるための演奏ではなく、神に捧げるための演奏をするという事です。
難しい表現をしてしまいましたが、結局言いたいのは、子供の持つ無垢な音楽えの情熱をそのまま演奏で示せるかという事です。こういうアーティストがぞろぞろ出てくるブラジルの音楽シーンにはいつも驚かされます。
日本とここが根本的に違うところで、日本の演奏家だと「○○ギターコンテスト優勝」なんていう一歩世界に出たら何の役にも立たない肩書きを後生大事にする傾向が有ります。それはジャーナリズムが元凶で、そんな意味のない肩書きをかき立てて超新星の誕生と騒ぐからなのです。しかし日本の聴衆は、バカではないので当然そういう新人が売れる事は無いのです。すると、「日本ではこういうジャンルは難しい」という論点のすり替えがジャーナリズムで行われてしまう。これは非常に残念な事です。聴衆は、格好いいモノを求めているのであって、○○大学卒業とか、そんな事はどうでも良いのです。
もっと本物、そうリアルな感動を日本の特に子供達に見せたい。圧倒的な、もう身じろぎできないおうな感動を見せたい。それはファンタジスタのプレーであったり、メジャーリーガーのプレーと同じですね。早く、音楽の世界にもスポーツと同じ現象が起きることを願うDecoyでした。