自己紹介③
こんにちは。スワロデコ)デコリアです。「札幌 スワロフスキーデコレーション きらきら大好き デコリア 堀田智代のブログ」へ訪問いただきましてありがとうございます。大変だけど営業の楽しさを知ってしまった私。保険外交は続けられませんでしたが、営業には未練がありました。そんな時、短大卒業後に勤めていたPCメーカ系商社に営業職として再入社のお話をいただきました。本来なら一度退職した職員の再採用を認めない会社なのですが当時の支店長は「これからの時代、営業職には女性も必要だ!」としぶる本社を説得してくれ、めでたく私は営業として再入社することができました。PCメーカーのトナーなど、消耗品を扱う総合総社の営業という業務。基本はルートセールスなので、毎日、担当ディーラー(卸元)さんのところに訪問して商談を纏めるという活動をしていました。さて、再入社した会社では以前、営業事務として担当顧客を持っていた私です。お客様との関係性は既に出来上がっていて「おぉハンちゃん(当時のあだ名)、帰ってきたのかい~(北海道弁(笑))」とすぐに受け入れてもらえました。実際、この会社ではずっと変わらず順風満帆な営業人生を送らせていただきました。もちろん、10年弱の営業人生の間には、失敗したり、成功したり、理不尽な事で怒ったり、トイレで一人泣いたり(涙)、同僚とも恩人である元支店長とも激しい言い合いをした事もあります。当時の私は、20代後半から40歳手前くらいまで。一番働いていた時期ですね(笑)仕事は頑張っていましたが、今思うと、とても生意気でした。営業事務を経て営業となり、転勤のない私は北海道マーケットを通算で14年程度担当していたことになります。ヘタをしたら、転勤してきた支店長や先輩営業よりもお客様をよく知っていました。。なので、どちらかというと、会社の言う事を聞かない(今思うと、これは、これだけではダメね(笑))とてもお客様向きの営業でした(笑)誤解を恐れずに言うなら、お客様はかわいかったです。全て言いなりになるなんて事は絶対にしませんでしたけど、なんとか、お客様と会社がWin-Winの関係になれるよう、いつもいつも考えていました。なのですが、営業担当として仕事を続けて10年程経った頃、東京から転勤してきた上司と意見が合わず喧嘩して、その良い会社を退職することになるのです。38歳の時でした。続きます。