案ずるより産むが易し/One Step Closer"ドゥービー・ブラザーズ" | でこのブログ

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☆あんずるよりうむがやすし

※解説
「案ずるより産むが易し」とは、「新しいことを始める時には心配事が尽きないが、実際に行ってみると案外たやすくできてしまうこと」を表現した慣用句。
この言葉は、慰めや励ましとして使うケースも多く、前向きで明るいイメージのことわざとして、座右の銘にしている人もいるかもしれないですね。

☆今日は何の日?!

❋大つち

大つち、小つちは「土を犯すべからず」という期間で、土をつかさどる神様、土公神(どくしん・どこうしん)さまが土にいらっしゃる時であるため、土を触ると土公神様がお怒りになるということから、この期間には穴掘り、種まき、土木工事、伐採、土に関すること全般、地鎮祭のなどの建築に関する儀礼はしてはいけないということになっている、そうです。



一応↑↑↑のように調べましたが、土用という土をいじってはいけない期間があります。

そして、このような犯土の期間もあることを初めて知りました。これを全部気にすると実際に土を触れる期間は少なくなりますよね。

暦を気にした挙げ句、木々や草花が、ほっぽらかしに されてもかわいそうなので、どこかで自分の納得いくやり方を決めるのも有りかな?とは思いますが、そこら辺はご自由に🙇



❋栄西禅師忌(えいさいぜんしき)

平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で
7月5日は栄西の命日。 

栄西(1141~1215)は、10代から天台宗の教えを学び始め、より深く禅宗を学ぶため2度に渡り宗を訪れました。帰国した栄西は、臨済宗の日本における開祖となります。

同時に宗で茶の素晴らしさに触れ、その種を日本に持ち帰った栄西は、臨済宗の布教と同時に茶の栽培方法や茶にまつわる文化を広めました。天台宗からの迫害を受けつつも、臨済宗の布教に努め『興禅護国論』『一代経論釈』などの書物を残しています。

茶は、栄西が生まれる以前から日本に持ち込まれていましたが

「栄西が、茶の文化を初めて日本に持ち込んだ」

ことから、日本の「茶祖」と呼ばれるのでした。


以上です🙇



今日の言葉

「案ずるより産むが易し」

由来は、妊婦さんが、赤ちゃんを産むのに不安になっていても実際産んでみたらそれほどのことでもなかったということ、なんですね。

今から書くことは、以前にも書いた?

覚えていません😅

では👉🙇

ワタシ、2人の娘がいますが。

長女が生まれたのは、結婚してから約2年後のこと。

兄と始めたアクセサリー関係の仕事。
初めは、今のように自分達で作ることは考えておらず、どこかで製作を依頼し、それを売るというスタイルで考えていました。

それが、なかなか自分達の思うような商品を作れる人物に巡り会えず、元々手先が器用な兄が見様見真似で作った、それが全ての始まり。

初めに、ブライダル関係のネックレスだとかイヤリングを作る問屋と知り合ったので、作り出したのもそのようなキラキラしたダイヤレーンを使用したものでした。 

以前の父親が携わっていた業界とは畑違いのこともあり、メイクするという立ち位置からは同じでも、その製造工程とかはまるで違うわけですよね。

知り合いも居ないし、ほんとの独学なんです。

なので、今でもこのやり方が正解なのか何なのかわかりません。

最初の試行錯誤ぶりは酷いもので😅

え?あんなものを、自分達で作っていたの?😧

等と、この業界に長くいる人達からは、そんなこともよく言われほどのもので。

昔から僕は、兄が作る様子を隣で見ていた、と書きましたが、それは、この時もそうでした。

兄も僕も頑固なところが、人一倍?あると思うのですが、どこかの誰かに教えてもらうという考えがあの時あれば、もう少し違った展開もあったかもなのですが、それをしないわけで😅

嘘でもなく連日連夜、会社に泊まり込みで仕事をしていた「あの頃」でした。

とりあえず、ここまででこの話は終わり😅

長女が生まれた時のことを書きたかったので😅

要するに長女が、生まれた時もそんな状態だったんですね。

色々と端折りますが…

予定日ってありますよね?出産の。

長女が生まれる予定日前後は、たまたま休暇中だったので、里帰り出産で神戸に戻っていた妻のところに僕は居ました。

が、予定日過ぎても生まれないわけですよね、よくありがちなことですが。  

話したように仕事は忙しくしていました。
なので、予定日過ぎても生まれない長女を待たずに、仕事が始まる日には東京に戻ったんですが、そうこうしていた数日後に長女は生まれました。

「普通だったら」ここで神戸に行って子供の顔を見るということが「普通」だと思います。

今だったらそうします。

ただ当時の僕は、それが出来なかったんです。

東京に戻れば戻ったで、相変わらず忙しく、わけがわからないまま仕事をしていた部分もありますが、そんなことを得意先が知るわけではなく、それを言えるわけもない、ですもんね。

「すみません、まだ慣れてないのでこの程度の物しかできません」とか
「こんなもんでいいですか?見た目同じだし」
なんて言うメーカーがいたら、問屋は他を探し始めるかもしれない。。

品物で語らせるしかないのよね。

それには、わけがわかなくても、しっかりとしたものを納品しなければならない、なんです。

その時も今もそうですが、ほぼほぼ兄と2人でことを進めるしかなく、目の前に溜まった仕事が大量にあり、終わったか?と思うと次の注文が入るという状況で、とにかく抜けられなくて、長女に会いに行ったのは、生田神社でのお宮参りをした生後1ヶ月の事でした。

酷い男だと思います。

僕がよくいう「冷たくて勝手な男」なんですよね。

ということで、
今日は寝ます!

また明日🙇


勝手なんで😑 😅


ワン・ステップ・クローサー

一歩ずつ…