「〜なかれ」から↑
ミステリーと言う勿れというドラマのタイトルが、頭に浮かびましたが…😅
ただそれだけ😒 🤦
今日はこれです↓
☆おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ
※意味
自分のしてもらいたくないことは、人もまた、してほしくないのだから、押しつけてはいけないということ。
実業家の渋沢栄一翁は、こう述べられたそうです↓
自分が求めていないものを人に与えてどうするのか、他人も同じである。
商売をするにしても、誰かにするにしても、独りよがりになってはいけない。
常に相手の事を考えて行動すれば、やるべき事がおのずと見えてくる。
元々は孔子の言葉のようです。
原文はこれ↓
【原文】
子曰、己所不欲、勿施於人。――衛霊公篇
子(し)曰(いわ)く、「己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は、人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。 」
――衛霊公(えいれいこう)篇
【語注】
己 自分。
欲 のぞむ。~したいと思う。
施 ほどこす。人になにかをする。
【和訳】
先生がおっしゃった、
「自分がしてほしくないことは、
人に対してもやってはいけない。」
です🙇
格言の由来について見ていくと、孔子という名前がよくでできますが、孔子とはこのような人物↓
孔子は、古代中国に生まれた思想家・哲学者です。 人を愛することを基本とする「仁(じん)」と、外見的な秩序を意味する「礼(れい)」を重視した教えを説き、後に「儒学(じゅがく)」「儒教」の始祖と呼ばれました。 彼の名言をまとめた「論語」は、中国だけではなく、日本や韓国にも大きな影響を与えています。
「仁」というドラマもありましたが
※仁(じん)とは、、、
中国思想における徳の一つ。仁愛。特に、儒家によって強調されており、孔子がその中心に据えた倫理規定で、人間関係の基本。
主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。また仁と義を合わせて、「仁義」と呼ぶ。古代から近代に至るまで東アジアの倫理規定の基盤であった。儒教的社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方である。
※五常の徳
「徳」とは最高の人としてのあるべき姿、人間に備わっている良き性質を意味します。 ちなみに徳の内容は「五常の徳」と言って、仁(思いやり)、義(正義)、礼(秩序)、智(智恵)、信(言行一致)という5つに分かれています。 孔子はこの五常の徳の中で仁が一番徳の高い、大事なものだと言っています。
このあとにもまだ調べたものはありますが、それを全て載せていくと「とても長くなりそう」なので止めます😅
「自分がしてほしくないことは、人に対してもやってはいけない。」
その通りですね。
🫵嫌われますよ?あまりしつこくしてると😧
自分だ🤦😅
とは言え、相手が嫌がっている?とわかっていても、しつこく絡んだりすることがあります😁
仲の良い人限定ですけど😅
普通はしません、普通は😅
今日の欄外。
岐阜県関係者の方にとっては、この時期の行事
・大垣まつり
・長良川鵜飼開き
のことはパッと思い浮かぶかもしれないですね。
岐阜県はあまり馴染みがないのですが、結婚前、神戸へ冬の新幹線を利用して行く際に、岐阜羽島〜米原間が雪のため徐行運転云々の車内放送から、雪が深い地域?というイメージがありますが。
他には兄達の野球部現役時代の遠征で、岐阜の長良高校とゲームがあったことは兄から聞いていました。
岐阜県の野球強豪校で、名前が知れ渡っていたのは、県岐阜商、中京高校、最近だと大垣日大で、その他も勿論何校かありますが、ここらへんの高校の名前がすぐ出てきます。
兄たちの対戦した県立長良高校。
この高校は1974年の選抜に出場しています。
今はほとんど野球が強い?という話は聞きませんが(今のうちと一緒で😅)当時は甲子園に出たチームなので、強かったんでしょうね。
僕たちの時は、というか僕たち以前のチームは、以前も書いてますが
「甲子園出場校かそれに匹敵するような力のあるチーム」
が相手のゲームしか組まない、そんな野球部で、長良高校との練習試合もそんなことからゲームを組んだのかと思います。
今日のカレンダーに長良川の鵜飼開きのことが載ってます。
※鵜飼いとは、照明の役割も担う篝火(かかりび)が鮎(アユ)を驚かせ、逃げる鮎を飼いならした鵜を使って捕る伝統的な漁法である。その歴史は古く『日本書紀』『古事記』にも鵜飼いについての記載がある。鵜飼い漁で獲れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができる。そのため、鵜飼い鮎は献上品として珍重されてきた。
次女は中学を受験して私立女子校に進学しましたが、修学旅行?だったかで、この鵜飼を見に行ってます。
うちの家族で、長良川の鵜飼を見たのは次女だけで、他にも東北、平泉等も学校で行ってます。
1番下ということもあり、家族内では
「お嬢様」😒 😅
僕の高校の時は、野球部だけ修学旅行には行けずに、その間、授業という名の自習時間を1時間目から6時間目までずーっと同期3人で黙々とこなしていました。
その後、グランドに練習に行くというスケジュールになっており、それは兄の時も同じ。
それが普通とも思っていたので、修学旅行に行けなかったことに対しての不満はありませんでした。
他にも体育祭がグランドでの開催だったので、合宿所管理の名目のもと、野球部は自由参加のような扱い。
文化祭は、かろうじて1度だけたまたま出る事が出来ましたが、基本的にはその日の文化祭は欠席で、グランド練習かゲームでした。
だから、僕みたいな高校入学組が野球部以外の生徒と絡むなんてことはほとんどなく、高3の最後の大会終わった夏から野球部以外の生徒と遊ぶようになる、といった流れ。
その代わりではないですが、遠征があって、僕の時は京都、静岡遠征で、事前に組まれたその方面の高校とのゲームがありました。
京都遠征の時は東山高校と西京商
静岡遠征が浜松商(この代の浜商は選抜の優勝チーム)
静岡学園、富士宮北高、静岡自動車工業、浜松西といった高校と練習試合をしましたが、いずれ劣らぬ強いチームばかりで、京都遠征は上の代から何回か行っており、平安高校ともゲームをしてましたね。
遠征が唯一楽しみといったものだったかなと、今はそう思います👌
今日の格言
「自分がしてほしくないことは、
人に対してもやってはいけない。」
そういうことなんですが、そういかないことも世の中にはあるわけで。
母校野球部、選手の全責任は野球部キャプテンにありますが。
何かにつけ、キャプテンが一番最初。
いいプレーをして褒められることは個人個人にいきますが、悪いこと良くないことが起きた場合は、キャプテンにその矛先は向く。
ましてキャッチャーだったこともあり、守備で何かあると、その責任はキャッチャーのところにくる!🤦
ほんとね、殴られましたよ、ワタシ😞😅
「キャプテン前出ろ👊✊」ですので😅
これした👊のは兄貴😎ですけど。
ハードパンチャーの😅
現役終わってから兄に言われたことがあります。
「俺だって👊やりたかねぇーよ」と。
仕方なく殴ることは、あの頃確かにありましたので。
うちの野球部にはありました。
だけど、殴られる方は当然痛い…を通り越して星が舞うほど😅でしたが、手を上げる方の心も痛むんですよね。
そういう時代なんですよね、そういうことが日常茶飯事といえば、そんなものだったので。
チャラチャラしてきたように見えるでしょうが…
「やわな生き方してきたんじゃねぇんだよ」
と言ったことのひとつに、こんなことがあったから…はありますね😅
しかし、それを考えると今日の言葉、渋沢栄一翁も言っていた言葉は当てはまらない!?
正しくは🤭
己の欲せざる所を(仕方なく)人に施すこともある!
※意味
「己の欲せざる所を人に施すこともある」ということわざは、自分が望まないことでも他人には提供することがあるという意味です。
これは、他人のために自己犠牲をすることや、自己の利益よりも他人に対する熱い思いによって動機づけられる行動であって、このような行為は、人に対する思いやりや愛情を示す行動としても尊重されます。
あったんですよね、やりたくないことでも、やらなきゃならない、そうせざるを得ない事が、あの頃には😔
今じゃ考えられない昭和の出来事。
🙇
もぅ恋する歳でもないんですけど😅
(夢見心地で恋なんてしたら、この「色ぼけジジぃ!」と誰かに言われそうだし🤭)
でも、ラブ・ソングはなーんか耳触りがいいのか?心地良いんですよね、聴いていて。
https://youtu.be/VH4hcMMBDkg?si=7_Gy3cxTM7qMxzdn