ヘイ ジュード | MY LIFE AS A FOOTBALL 2

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ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ



  オシムの伝言

ほんの2年前まで、代表の試合にはこのふたりがいたんだなぁ・・・
大きな大きなオシムさんと、ちっちゃくてちょびヒゲ、メガネの通訳さんが。

 その元日本代表通訳、千田善(ちだ・ぜん)氏が明かす、
 オシム来日から闘病、そして離日まで、923日間に及ぶ迫真の舞台裏。

最近、とみに涙腺の弱々しいワタクシ。 情けなかねぇ
これは壮絶な闘病記でもあり、もうだめです。 この本には涙腺ズタズタにされます。

脳梗塞からのリハビリ中、「ヘイ ジュード」に聴き入る場面あたりから、雲行きはあやしくなり
天皇杯を勝ったガンバ勢との交流から、巻誠一郎の結婚披露宴に至るあたりで、
ついに私の涙のダム、決壊です。 ほぼ全壊、滂沱滂沱であります。 

 「ヘイ・ジュードは最高だな。 誰の歌? ビートルズ? それは知っている。
   歌っているのは・・・ポール・マッカートニー。 そうだ、そうだ、そうだった。」

オシムは1941年生まれだから、レノン・マッカートニーと同世代。
「ヘイ・ジュード」がヒットしていた'68年、27歳のオシムはユーゴスラビア代表のエースとして、
ヨーロッパ選手権に出場し、準決勝でイングランドと対戦している。

 試合開始直後の5分、ひどいファールにより足首を負傷。 歩けないほどの大怪我にもかかわらず、
ベンチに下がらず、痛み止めの注射を打ちながら、試合終了まで片足でピッチに立ちつづける。
 
 ※ 当時は選手交替が認められていなかったという事情もある。

試合はジャイッチの1発で、ユーゴスラビアが勝つ!

決勝の相手はイタリア。 オシムはケガがひどく出場できなかった。
ローマでの試合は1-1で引き分け。  2日後の再試合でユーゴスラビアは0-2で敗れた。

「もしシュワーボ(オシムの愛称)が、決勝でプレーしていたら・・・」 と、今でも語りぐさになっている。

オシムは大会のベストイレブンに選ばれ、ローマ法王とも面会している。
「ヘイ・ジュード」は、そういう思い出がある曲だそうだ。

リハビリルームに流れてきた40年前と同じ歌声。
大けがから必死で立ち直ろうとしていた現役時代を、今の自分に重ね合わせていたのだろうか。
 ※ 本文より

 
 天皇杯で決勝ゴールをあげた播戸とのやりとり・・・

「オシムさん、ほんまに帰ってしまうんか? 
 な、オレにも何か言うてください。 今後のためにアドバイスを」

「次もまた、その重たそうなトロフィーが持てるように、それで筋トレでもしなさい」

選手への愛情があふれる。 
オレは相変わらず涙があふれる^^

つくづく、返す返す、オシムの代表が見たかった。 残念でならない。
もちろん本人がいちばん残念なのは言うまでもない・・・

「代表監督としてやり残したことがあるのは残念だ。
 ・・・日本らしいサッカー、独自路線で進もうと思っていた。

 自分で地図を書いても時々道に迷うものだが、
 その点、迷うことなく順調に進んでいた。
 ある程度頼りにできる、まとまりのあるチームが作れていた。

 選手には続けて進歩してほしい。自分や自分のチームに自信を持ってほしい・・・」


今のままでいいのか? 代表! 
オシムさんに恥ずかしくないか・・・


 「オシムの伝言」  千田 善  みすず書房