母親に「これ美味しい!」と言ったり喜んで見せると、そればかり作ったり、買ってきたりすることってありませんでした?


別にそれをたくさん食べたいわけでもないのに、その言葉をきっかけに暫くそれが続くことがうちではよくありました。



そういうことじゃないのにな。

何でお母さんってこう極端なんやろ?


そう思っていた10代の私。



大人になり一人暮らしを始めると、実家から届く荷物には以前私が「美味しい」だとか「好きだ」と褒めたものが詰められていて。



少々うんざりした私は

「そういうんじゃないし、もういらないから。」と一度言ったことがあります。




そして。


自分が母親になり、子どもがお買い物に付き合ってくれなくなった今。


子どもが何を喜ぶのか、好むのかが分からなくて、取り敢えず選んで買って帰っています。


それをめっちゃ喜んでくれると、また同じものを買ってくる。


暫くするとそれらが食べられなくなり、残りがちになる。


あんなに喜んでたのに何でだろう?と本気で理由がわからなくて考える。



そして、ふと思い出したのが遠い昔のこと。


あぁ、私の母もそうだった。

一緒に買い物に行けばよかったな。


母なりに、子どもはこれを喜ぶと思ってしてくれたことなのに、私はなんてワンパターンなんだと思い、ありがたさよりも鬱陶しさを感じたりもした。



今、私は、母と同じことをしている。

子どもが好きなものがわからない。

私が好きなもの、大人が興味のあるものを子供が好むとは限らず、だからこそ、子どもが1度でも喜んだものを用意しようとする。


それは無精してるわけではなく、私なりの愛情だったりするんですよね。


母も同じだったに違いないと今ならわかる。


私の気持ちも、子どもたちに届くのは、きっと20年30年先なんだろうなぁ。