こんにちは。

 

昨日予告しましたように、学校の授業って、「何なん?」について、書きたいと思いますおねがい

 

 

結構前に読んだ本に、

「Appleのデジタル教育」

という本があります。

 

この本、海外事情が絡むので、ちょっと読みにくいところはあるのですが、色々な気づきがあり、勉強になった本ですおねがい

 

その中で、教育の目的について触れられているところがあり、産業面からの社会的要請について、記載されているところあります。これによると、1900年代初頭は、第2次産業革命の時代で、自動車などの大量生産が始まった時代にです。当時、自動車などの製造工程が、ライン生産化され、

「真面目だけど、スキルを持っていない労働者が大量に必要であった」

時代です。

 

「真面目」というのは労働者に求められるのはすぐにご理解いただけると思いますが、「スキルを持ってない」というところは「はてなマーク」となるかもしれません。

 

これ、スキルがあると、

賃金が高くなるびっくりマーク

から、「スキルがない方がいい」という理屈ですガーン

 

できすぎちゃう人は、あまりいてほしくなっていうのが、当時の産業界の要請だったのですびっくりマークしかも、結構のボリュームで必要というものです。

めちゃくちゃ経営者目線の話です。

 

 

一方学校側も、人口が増えていくにつれ、多くの国民に教育を行っていかなければならず、教師一人に対する生徒の数をそこそこ増やしていかなければ、財政上も教育を実行ができません。そうなると、効率化が重要視され、

「同じように教えたら、同じようにできるべき」

という考えが浸透していきます。

 

 

この二つの方向性が、たまたま一致し、「教育の標準化」が勧められた流れが現在も続いている状況です。

 

 

どういうことかというと、

1)標準的な教育カリキュラムで、できる子とできない子が分かれても、同じように教えているのだから、平等である。

2)できない子がいても、産業上の受け皿があるし、できない子が結構のボリュームで必要なので、社会的には有難い。

という状況です。

 

でもよく考えてみてください。同じ子って、いますかはてなマークはてなマーク

みんな違う子なんですびっくりマークびっくりマーク

 

これって、お米が1kg1000円で買えるところと、2000円で買えるところがあったとしても、同じように1万円渡しているのだから、平等っていうのと同じだと言われている気がしますキョロキョロ

 

 

このシステムが一旦できあがってしまうと、標準的なカリキュラムをこなしていかなければならない一方で、できない子がいても、社会的に歓迎される(=許される)となったら、学校の先生は、もうカリキュラムこなすのに全力を注いでしまいます笑い泣き

 

だって、そうすることが自分の評価軸の最適化なんですから。

 

 

これが今行われている教育の本質的な問題ですし、「何なん?」の答えなんだと考えています。

 

 

学校の教師の教育の目的は、子どもたちの可能性を広げることではなく、自分たちのノルマをこなしているだけで、結果、教育の目的が子どもたちの「可能性を増やしていくこと」ではなく、「選別」を行っていることになってしまっているんですえーん

 

 

これって、「悪意がない」、「そういった意図はない」では済まされない、深刻な問題ですムキー

 

 

さらに現状の問題は、こういった選別されてしまった人材に社会的要請がないということですガーン

既に時代が変わりすぎてしまっているんです。

 

 

そもそも、私の中で、人はそれほど能力の違いはないと考えています。

違いがあるとすれば、「何がわかりやすいか」で、ここは人のよって違っていると思います。

 

 

これは、「標準的な教育」の内容や方法がぴったりわかりやすい人がちょっとだけいて、その他はぴったりでないという状態です。

要は「標準的な教育」の内容や方法が変わったとたん、今までぴったりだった子はできない集団になり、今まできなかった集団の一部が新たなできちゃう集団に変貌する状況です。

これって、能力の違いではなく、機会の違いでしかありません。要は運がいいだけです。

 

 

ただ、厄介というか、有難いというか、人って、自分の特性に合致していなくても、ある程度の努力で適合できちゃうんですよねゲッソリ

 

だから、ある程度努力すると、そこそこできるようになってしまう。だけど、まったく努力しなくても、たまたま自分の特性に合っている子にはかなわないという状態ですネガティブ

 

 

この点、学歴がそこそこある人よりも、自分の世界に特化してしまっている人の方が、社会的にも、経済的にも圧倒的に成功しちゃっていることがある現実とも合致していると思います。

 

 

なので、学校の標準的なやり方で、

できる⇒能力あり

できない⇒能力なし

ということにはならず、たまたま勉強内容・方法が合っているか、合っていないかというだけなんです。

 

勉強できる、できないは、ぶっちゃけ、その人の能力に関係ないと思ってますグラサン

 

 

実際、うちの子のように、理解しようともせず、丸暗記しちゃった方が点がよかったりするわけですからえーん