父と家族の末期がん闘病記 -4ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。

しばらくぶりのブログになりました。

ご無沙汰している間に季節は春になり、窓の外では桜が満開です。

時の経過とともに私のお腹も徐々に大きくなり、今日で妊娠26週目。
安定期で切迫早産等の兆候もなく、順調に過ごしています。

無事、2月下旬には父に妊娠報告することが出来、父も大喜びぼー
里帰り出産はしませんが、来月には半年以上ぶりに私が帰省することも決まりました。


そんな父の病状ですが、おかげさまで小康状態が続いています。
暖かくなってきたので、のろのろ運転のバイクで江の島や鎌倉を巡っているとのこと。

お見舞いにくる人に毎度、「 もう長くない 」「 いつ死んでもおかしくない 」を言う父ですが、このままだと" 死ぬ死ぬ詐欺 "になるんじゃないかと思うくらい(笑)
死ぬ死ぬと言い続けて、車を買い替え、母が老後を過ごす新居の購入を検討し、旅行にも行きまくり・・・
行動を起こす毎に、死に近づくどころか生きる気概を取り戻している気がダッシュ
こんなブラックジョークを言えること自体、ありがたいことですね!

タキソテールの投与も、もう何回目???
変わらず定期的に投与していますが、回数を数えることも無くなりました。
2012年11月にタキソテールの投与を開始して、来月で1年半。
タキソテールさま、これからもお願いします!!


7月に出産し、8月は夫の退職→転職に伴い、大分から福岡県への引っ越しも決まりました。
はじめての出産に引っ越し、慣れない土地での育児。
考えれば考えるほどに大変で、とうぶん実家に帰省することは出来なさそうだし、父のことを心配する気持ちの余裕も無くなるかもしれません。

だからこそ、父には何事もなく元気に過ごしてもらいたい。


消費増税8%になるのは嫌だけど、早く4月になって帰省する日がやって来て欲しいな。
2週間ほど前に受けた羊水検査の結果が出て、幸いにも" 異常なし "との報告でした。

とは言え無事に産まれてくるまでは何が起こるかは分からないし、羊水検査で分かったことなんてほんの一部のことでしかないけれども、随分と気持ちに安心感が生まれ、マタニティライフを楽しむ余裕が出てきそうです。


現在、妊娠5か月の19週目。

一か月後の23週目には、胎児エコースクリーニングという検査を受けることが決まっています。。

羊水検査では染色体の異常を調べましたが、エコースクリーニングは胎児の形態学的異常を調べる検査になります。
この時に何らかの異常が判れば、胎児が生れてきたと同時に必要な処置を迅速に行うことが出来、今までであれば" 出産時の事故 "として失われてきた命を助けることが出来るそうです。


生まれてくる前から、こんなにも色々な検査を受けることが出来、" 出産時の予測 "が出来るようになったなんて、本当に医学の進歩はすごい!


・・・そんなこんなで、羊水検査結果が出たら実家の両親に知らせようと思っていたですが、またも検査を受けるとなると、その結果が出たらでいいかな、、、なんて、気持ちが先送りになってきました。

決して報告を渋ってるのではなく、報告するタイミングが分からなくなってきてしまったという感じ。


両親の近くに住んでいれば気軽に帰省出来て、きちんと会って報告が出来ますが、いかんせんこれだけ遠距離に暮らしていると、会いに行くハードルは高いけど、電話で報告するというのもなんだかな・・・と思う気持ちもあります。

何より、父の病状が安定しているので、「 妊娠報告が、父に生きる力を与えてくれる! 」という気持ちがいつのまにか引っ込んでしまっている部分もあったりして。


夫も夫で、「 出産は無事に生まれてくるまで何があるか分からない 」ということと、「 何か協力をお願いするわけでもなく、いつ喜んでも喜びの量は変わらないから、報告を急ぐ必要もない 」というスタンス。
義両親に報告する目途も全く立ってはいませんダッシュ

義両親にとっては初孫、それも内孫なのに、これでいいのかな???
夫が良いと言うなら、それで私は良いのですが。。



4月に夫の予定に便乗して東京に行く用事があるので、その際実家に帰省し、その時に報告すれば良いかとも考えたり。

どんどんと報告する日が遠のいていきそうですクシュクシュ
何かと慌ただしく、あちこち動き回っていた1月。


妊娠5か月の安定期に入ったこともあり、先週は関西地方を旅してきました。

旅・・・と聞けば聞こえはいいけれども、実際は神戸で開催されていた夫の専門医試験受験のお伴です。
( 試験は2日間に渡り筆記と口頭試問が行われたのですが、口頭試問は朝7時20分集合ということもあり、試験に遅刻しないための目覚まし要員ですw )


医師というのは、医学部で6年間を過ごした後、医師国家試験に合格することで一生の国家資格を取得できるわけですが、その後自分の専門分野(科)に進んだ中で様々な臨床を経験し、各種専門医試験を受けてキャリアを磨いていく必要があります。

その専門医試験を受ける条件には、「 専門分野で○年以上の臨床経験 」とか「 定められた勉強会カリキュラムの受講 」など、諸々の条件があるため、今回夫の受けた試験は早くとも30代前半にしか受けられない試験でした。


この専門医受験に際し、夫はまさに机にかじりつくように勉強していた数か月間。

当然通常勤務をこなし、17時半頃帰宅した後、夕食→小休憩を挟み、19時~24時まで書斎にこもりきって勉強。
朝は1~2時間ほど勉強したあと出勤。
週末も一日12時間くらい勉強し、年末年始も実家に帰省せず、趣味も凍結し、教科書や問題集と格闘していました。


その努力の甲斐あって、受験後の自己採点では合格間違えないだろうという数字が取れたようです。
良かった、良かった。


しかし・・・


自己採点を終えたホテルの部屋でカタカタとPCを叩き、Amazonの画面を私に見せてくるので何かと思いきや、

「 次受ける専門医試験のために、この教科書とこの教科書、買っちゃうね。 」

と次なる目標を定め、自宅に戻って早速届いた新しい教科書を読み込み、勉強し始めています。

今週末も勉強会に参加予定で、近々学会での発表を控えているので、その準備も始めなくてはならず。。
本当におつかれさまです。


そんなこんなで、父の主治医と夫の専門は違えど、その専門性を維持し、日進月歩に進化する技術や知識を身に付けていくことがどれほど大変なことなのかを痛感します。

病院HPの医師紹介ページに、" ○○専門医 "と肩書が書かれていることがよくありますが、それは医師の中でもその専門性に優れた証であることに違いなく、医師としての紛れもない努力の証でもあると思います。


父も、夫の試験勉強の状況を心配してきてくれたので、夫の様子を伝えると、

「 頑張ってるのは自分(患者)だけじゃないんだな~。
 僕の主治医も、きっと日々いろいろ勉強しているんだな。 」

と、しみじみ。

そうだよ。
もちろん一番大変なのは患者本人( 父 )だけど、医療関係者も、そして家族も、みんなで病気と闘ってるんだよ!
パパが一人で戦ってるんじゃないよ!

そのことを忘れないで、これからもがんばって欲しいな。



もう何回目の投与になったか正確にすぐ思い出せませんが、おととい、2014年に入って初めての抗がん剤(タキソテール)を父は投与しに行ったそうです。

今年もしっかり、父の病魔を抑え込んでくれますように。