父と家族の末期がん闘病記 -23ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


今日から9日間の日程で、実家に帰りますビックリマーク


・・・と言っても最終フライトなので、今日は都内のホテルに一泊し、実家に行くのは明日。
この1クッションがもどかしい~

来週1週間、まるまる休みを取ってくれたダンナさんに感謝きらきら!!
と言っても、ダンナさんの大事な用事@都内に私が便乗して帰省するだけなのですがぼー


そして父。

あんなにも体調がすぐれないにも関わらず、本日タキソテールの3クール目を投与。
最近咳も出てきて、肺への転移も疑っているようで、肺のレントゲンも撮ってくるみたいです。
鼻水も出ているというし、ただの風邪なら良いんですが。


旦那さん曰く、本気で肺への転移を疑ったらレントゲンじゃなくCTを撮るだろうから、きっと主治医は転移をあんまり疑ってないんじゃないかなーと。
父が心配がるから、とりあえずレントゲン取っておこーか・・・みたいな?

それなら良いのだけど。
結果が分かるまでは、やっぱり不安です。


さー、一週間ちょいの滞在で、しっかり親孝行して、沢山父と話をしてきますパー



実家に帰るまで、残すところあと2日ビックリマーク


・・・というわけで、今日は美容院に行ってヘッドスパ&パーマ&トリートメント&カットのフルコースをしてきました。
父と沢山写真を撮りたいし、そんなときに「 見たくもなくなる自分の姿 」でいたくないので(笑)

というか、当初は大学時代から10年近く通い続けていた銀座の美容院に行ってから実家に帰る予定だったんだけど。。。
美容院に行くためではなく父に会うために帰省するのだし、少しでも長く父と一緒に過ごしたいから、美容院を前倒しした次第。

正直、転勤してきて初めて入る美容院で、自分が気に入るような施術をしてもらえるかものすごく心配だったけど、いい感じに仕上がって良かった~顔(和む)



そんなこんなで美容院で3時間半くらい過ごし、帰宅したあとに携帯電話をチェックしてみたら。

父の携帯から着信と、留守電メッセージがありました。

父から電話を貰えるのは珍しいことだし、そもそも体調の悪い父からメールの返事すら貰えていなかったので、嬉しい半面、なんでこういうタイミングなんだと落ち込み・・・

しかも、留守電に録音された父の声はものすごく弱々しくて。

すぐに父の携帯に掛けても出てくれないので実家に掛け直ししたところ、母が出て

「 いつもはメールもすぐに返してくれるあなたが電話に出ないから、心配していたのよ。 」

と。

すぐに代わってくれた父は、留守電の声よりも少し元気な声。

「 早くお前に会いたくて仕方がないよ。早く帰って来て欲しいよ。 」

私の声が聴けることを、嬉しがってくれている様子。


そして、明日は父の親友がわざわざ山梨県から自然薯を持って会いに来てくれるということ。
新しい車を買ったものの、人気車種のために納車が来月になってしまっていること。
あまりの体調が悪くて悪くて、「 もう死んでもいい 」なんて頭をかすめたりするけど、「 家族や友達が一生懸命支えてくれるから、頑張らなくちゃと思えている 」こと。
週末、外来予約が無かったのに病院に行ったら、大学病院の副院長である主治医がわざわざ父のためだけに来てくれて、直々に色んな検査をしてくれて、「 あの先生が主治医で本当に良かった 」と心底思っていること。
とにかく私に会いたい。私が来たら、頭を撫でてあげたい。とにかく、娘たちや孫が、可愛くて可愛くて仕方がないということ。
私の帰省に合わせて家族みんなで旅行に行けるのが、楽しみで楽しみで仕方がないこと。
9月の九州旅行みたいに温泉で泳いだりしたいけど、今は2分湯船に浸かるだけでヘロヘロになってしまうこと。

そう切々と語る父は、気丈を装いながらも、途中何度も感極まって涙ぐんでいました。
父はどんなときでも明るくて、11月に私が実家から九州に戻るときだって、涙ぐむ私を笑って見送ってくれた父なのに・・・

父に泣かれてしまうと、なぜか私が泣いちゃだめだと心が強くなって、すごく不思議でした。


でも、電話を切った後は、やっぱり声をあげて泣いてしまったけれども。。。



しかも11日には、父はまた抗がん剤の投与を受けるそうです。
ここまで辛い状況になっても抗がん剤を受ける父。

せめて、せめて、抗がん剤の効果が少しでも出ていて欲しい。



そう思わずにはいられません。