父と家族の末期がん闘病記 -22ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


実家から九州に戻る前後でバタバタとしてしまい、ブログ更新が遅くなってしまいました。。。

前回ブログの続きです。


***


抗がん剤:タキソテールの投与対象とされる癌種(?)を調べてみても、父の罹患している" 食道小細胞癌 "はどこにも該当しません。。。


けど、父も家族も主治医に絶対的信頼を寄せ、ただひたすらに“ この主治医に着いて行く! ”という気持ちでセカンドラインにタキソテールを投与することを決めたのです。



そもそもこの食道小細胞癌は、世界でこれまで1,300症例くらいしかないそうです。

そのうち、日本での症例は1割くらい。

食道がん治療で名高い、父の通う某大学病院での治療実績も10数程度・・・


食道がん自体、がん死亡者数全体の中で占める割合は3%程度のマイナーな癌なのに、その食道がん患者の中でも小細胞癌を罹患する割合はたったの2%程度。



だから、標準治療法なんてないのです。


これが効くと認められている薬はありません。


全てが手探り。



一番最初の抗がん剤にシスプラチン+CPT-11を選択したのは、" 肺 "小細胞癌の治療法に準拠し、部位は違っても同じ小細胞癌だから、効く「 かも知れない 」からです。


このファーストラインは体への負担が大きく副作用が強いために、効かなかった場合のリスクはとても大きいのですが、まさに藁にもすがる思いで投薬に臨みました。


しかし、結果は既に書いた通り。

副作用だけが残り、父の癌は進行し続けました。

(ただし、父の副作用は比較的少なかったことは幸いでした)



そして今回のタキソテール。

主治医がなぜこの薬を選んだのか、突っ込んだ質問をしていないので理由は分かりません。

まぁ、「 食道小細胞癌 」に効くとされる薬なんてこの世にまだ存在しないのだから、どの薬を選んでも" 掛け "には違いないわけで。


このタキソテールは通院投薬が可能で、長いときには10日間も管理入院しなければならなかったファーストラインに辟易していた父は、単純に入院しなくて良いことを喜んでいました。


主治医からは副作用の話も具体的に出なかったので、見守る私も


  ・・・ 効果が期待できないし、副作用も殆ど考える必要もないのかな ・・・

と軽く考えていました。

(実際、主治医から副作用に関して特段の話しはありませんでした)



そしてタキソテールを投与してからの父の状態は、ブログを読んでくれている方ならお分かり頂ける通り、心身ともに弱っていく一方。

そんな中で、1月18日の効果判定を迎えたのです。


( 長くなって申し訳ありませんが、続きます )



1月11日に、3クール目のタキソテールを投与した父。


今週はずっと副作用に悩まされ、今日も足のシビレがひどく「 体調は良くない・・・ 」と漏らしつつ、お昼過ぎから病院へ。



先月末からの咳が気になり、肺への転移を懸念して、まずは腹部超音波検査。


それから、タキソテールの効果を見るためのCT撮影。


最後に、主治医の外来。



***



前回CT撮影したのは去年10月22日。


7月から3クール投与したファーストラインの抗がん剤;シスプラチン+CPT-11(イリノテカン)の効果については、残念ながら父の体の中では病変の進行が止まるどころか癌細胞が明らかに肥大化しており、「 効果なし 」との判定。


その結果に意気消沈し、11月からはセカンドラインのタキソテールへと抗がん剤を変えることになったのでした。



とは言え、抗がん剤は臨床実績的に効果が高いとされるものから投与していくのが第一原則なわけで・・・


ファーストラインが効かない or 効かなくなった場合、セカンドラインは効く可能性が更に低くなることが一般的されており、ダンナさんからも


「 セカンドラインの抗がん剤(タキソテール)には期待しないほうがいいよ。 」


と、冷静な意見を言われていたのでした。



私も私で、父の煩っている食道小細胞癌が進行癌であり、その希少性故、未だ治療法が確立されておらず、予後が著しく不良なことを十分認識。

その上、インターネットで漁るように情報収集してみても、父の病変にタキソテールが効いたなんて情報はおろか、タキソテールを投与した例など1件も見当たらず(!)、どこそこかのサイトで


タキソテールは日帰り投与可能で、比較的全身状態が悪くても投与できます


なんて無機質な文言を読んで、


「 それでも抗がん剤治療をあきらめたくない父に、気休め程度に投与する抗がん剤が、このタキソテールなんだな。。。 」


と考えていたのでした。



続きます。




※コメントやメールを戴いている皆様、いつも本当にありがとうございます。

 現在実家に滞在しており、皆様から戴いたコメントやメールの返信が後日になってしまい恐縮ですが、

 いつも有難く拝読させていただき、そのお気持ちに支えられています。

 今後もどうぞよろしくお願いいたします。


***

11日の夜に羽田に到着し、父の実家のあった蒲田で一泊。

我が夫は週末都内で用事があったので、12日の朝に私一人で実家方面へ。



年末からずっと体調不良だった父ですが、私が帰省したこのタイミングでどうしても家族旅行に行きたいという希望から、そのまま1泊2日の伊東旅行を決行しました。

実家の最寄駅までは母が運転し、そこで合流した私が運転をチェンジ。

姉の夫は海外出張中だったので、姪っ子二人が一緒の6人旅。



父が抗がん剤の投与(タキソテール3クール目)を11日にしたばかりだったし、父の不調ぶりが尋常ではないと聞いていただけに、行くと決まっていても、内心心配で心配で仕方が無かったのですが。



2ヶ月ぶりに再会した父は、予想に反して顔色も良く・・・



遠く離れて暮らす私に必要以上の心配をさせてはならないと、気が張っていたせいでしょう。



1日目の父は終始笑顔で過ごし、体の不調を一切吐かず、孫とじゃれあう余裕すらあり、宿の温泉にも一人で行っていました。



とは言え、さすがに運転は父に任せられる状況ではないし、宿の豪華な食事も殆ど食べることはなく、温泉に浸かった後はぐったり部屋で横になってしまう状況。

2日に至っては朝から不調を訴え、むくみの出た顔は顔色も悪く、立ち上がるのも辛そうで、1日目とは別人の父になってしまいました。

(結局、朝早くチェックアウトをし、寄り道を一切しないで帰宅しました)


それでも血縁の繋がった家族水いらずの旅行が出来たことは、今思い出してみても、まるで夢のような幸せな時間でした。




***



姉と姪っ子たちは3連休が終わる14日の夜まで実家に滞在し、13日の夜には私の夫も実家に合流。


義理の息子である夫には、駄目な姿を晒せないと見栄っ張りな父。

「 単なる娘の夫 」だけではなく、父にとっては、やっぱり「 医者 」として見てしまうそうで。


・・・だとしても、医者に見栄張ってどーするの・・・って感じなんですが。



そんな父を見て、夫は


「 例え見栄だとしても、見栄を張れることはいいことだよ。

 本当に駄目なときは、見栄すら張れなくなるんだから。」


と言い、その言葉に妙に納得する私。。。




それにしても、父は体調の波以上に精神的な波の高低差が激しく、2ヶ月前に比べて明らかに不安定になっています。


夫がまだ都内での用事が残っているので、今日はまた都内のホテルに宿泊しているのですが、夜に夫を見送った後、急に父の緊張(見栄)の糸が切れてしまいました。




夫がいなくなってから、ずっとお酒を手放せていません。


大量にガブガブ飲むわけではなく、とにかく、お酒の入ったコップを握り締めていないと心が落ち着かないのだと。


飲んでも美味しくないと言い、舐めるように口をつけるだけです。


だから、高いお酒を飲む必要なんてないのだと言い、100円パックの安いお酒を自分で買ってきていました。

(家族としては、今後父が飲むお酒はせめて良いものだけをと思い、高いお酒ばかり沢山買ってきているのですが、あまり積極的には飲みません。

それよりも、ついつい飲み過ぎないように飲みきりサイズの安いお酒が良いそうです。)


ただただ、お酒に逃げたいのだと思います。。。




そして先ほど、片手でお酒の入ったコップを握り締めながら、


 「 こんな姿、○○ちゃん(私の夫)には見せられないよな。

   俺さ、○○ちゃんの前では頑張っていたよな?


   なんでだろーな、急にこんななっちまうんだもんな。

   旅行の時はあんなにはしゃげたのが、本当に不思議。


   ・・・


   しかしさ、娘っていいよな。

   娘が二人とも専業主婦だから、こうしてすぐに駆けつけてくれるしさ。

   孫をこんなにいっぱい預けてくれるのも、娘だからだよな。

   息子じゃこうはいかないよな。

   男は仕事に夢中になるし、仕事に夢中であるべきだし、

   そもそも男親の心配なんてしてくれないもんな。

   世間一般的には分かんないけど、俺はね、子供が二人とも娘で

   良かったと思うよ。


   昔な、仕事帰りに娘二人に駄菓子をお土産に買って帰るのが

   楽しくて楽しくて仕方がなかったんだよ。

   東急ストアで一個十円とか二十円の安いやつだけど、毎日毎日

   買って帰ったなぁ。

   当時の俺のお小遣いなんて○円くらいだったけど、そのうち□円

   くらいは、娘へのお土産代に使っていたんじゃないの?


   ・・・


   あ、そういえば明日が約定日の投信があるんだよ。

   先週の時点で最低○%の利益が出るって目論んでいたんだけど、

   今日の日経平均がガクッて下がったから、狸の皮算用になっちゃうな。

   残りを売るときは、もっと慎重にならなくちゃな。

   財産を少しでも多く残してあげたいんだよ。」



などと、まるで独り言を呟くように、思い出すがままにとくとくと語り、

その後ふと思いついたように自分の書類棚を指差し、


「 あそこに、遺言書関係の書類が全部あるんだよ。

 遺書を遺すから、下書きを書いて。 」


とお願いをされました。



父には父にしか分からない「 何か 」をいろいろ感じているといるのでしょう。



実家での時間は、そんな風に淡々と過ぎ行き、あっという間に1週間の実家滞在も残り3日足らずとなってしまいました。



続きます。