父と家族の末期がん闘病記 -2ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。

現在、妊娠38w6d。

正期産に入り、出産予定日まで残すところ一週間となりました。


が。

初産は予定日を過ぎることが多いと聞く通り、私も例外ではなさそうです。。

一週間に一度の検診での出産兆候は未だ全くナシ。
父の状況を考えると、正期産に入って一日でも早く出産したい気持ちが沸いてくるのですが・・・

いやいや、赤ちゃんが自分のペースで、健康に生まれて来てくれることが一番!


両親には自分からなかなか連絡が出来ません。

何か聞いて、悪い報告を受けたらと思うと怖くて。
両親から連絡がないのは、私を心配させまいという配慮なのか、それとも自分たちのことで精一杯で、私のことまで頭が回らないからなのか。
( 悲しいけど、後者の確率もかなり高いのです )

新しい命を待ちわびる一方で今まであった命を失うことが怖い気持ち、そのくせ、親に構って貰えず寂しい気持ちが混在して、これはマタニティブルーなのか、産後ブルーになってしまうのか、自分でもよく分かりません。。。


雨を降らせる、どんよりとした梅雨の空模様と同じような気分。

梅雨にも晴れ間があるように、この先一週間の雨予報の先に、晴れ晴れしいニュースが待っていますように。
実家から別府に戻り、無事に臨月を迎えました。
今週末には正期産に入り、暦の上ではいつ生まれてきても大丈夫な時期になります好

ただし、今週受けた妊婦健診では、胎児の推定体重は2180グラム。
ここに来て少し体重増加が緩やかになり、36週に入った胎児としては小さ目のようです。
小さ目という以外は特に問題はないのですが、まだまだ生まれてくる気配は無く・・・
この調子だと、出産予定日以降の出産になるかも知れません。


また、先日外来を受診した父からメールが届きました。
1年半ほど投与を続けてきたタキソテールは打ち切りになってしまったものの、主治医から" TS-1 "という抗がん剤の服用を提案されたのだと。

これで、父にとっては3種類目の抗がん剤。
TS-1は毎日服用する飲み薬で、服用に際して通院する必要はありません。

父は、自分にはまだ打つ手立て( =抗がん剤 )が残されていたという現実に明るい気持ちを取り戻したようで、母からのメールによると、「 TS-1にものすごい期待を抱いており、この薬に賭けている状態 」なのだと。。。


でも実はこの薬、そんな父の期待に添える薬ではないのです。


種明かしをしてしまうと、先般の帰省時、私と夫で主治医の話を聞きに行った際、父には秘密裏に夫から主治医に処方の提案をした薬なのです。

その目的は" 治療 "ではなく、あくまでも" 父の精神安定 "のため。


はっきり言って、父はとても精神的に弱い人間です。
自分にはもはや打つ手立てが残されていないと知ったら、体よりも先に、精神から駄目になってしまう人間です。
抗がん剤の副作用で体がボロボロになったとしても、抗がん剤に望みを託し、抗がん剤にすがり、抗がん剤に精神の拠り所を求めているのです。


主治医の立場からすれば、副作用はあっても、患部に効かないと分かりきっている抗がん剤を投与することは打ち切るという判断ですが、こうした父の性格を考慮し、夫が主治医にこの薬の投与を提案・お願いしてくれたのです。

尚、TS-1は一応食道癌への適応のある薬ではあるものの、副作用が殆ど見られないと同時に、臨床効果もほぼ期待することは出来ません。
まさに父のような、精神安定を求める患者のために投与される薬。


夫から主治医に提案したものの、主治医は「 お父さんと相談して決めます 」と言っていたために投与してくれるか分からず、父にも母にも、TS-1の話は一切していませんでしたが、結果的に主治医が投与してくれたと分かって安心しました。

そして、母にだけはこの裏話を話し、あまり期待しないようにと伝えました。
母はTS-1が処方された経緯を知っても、「 パパにとっては良かった。薬があるというだけで、パパの精神が安定してる。 」と言って貰えました。


病は気からというように、父には精神面で病気に負けて欲しくはないと思います。
精神力だけでどうにかなる病気ではないと分かっているものの、父にとっても私にとっても、今はそのことが希望の糧です。


その後、父の様子を知るのが怖くて私から父の病状を尋ねることもせず、たぶん母も私に心配かけまいと連絡してくることもありません。
実家からの電話やメールは何かあったのではないかとドキリとしてしまうので、正直このまま連絡無いことすら願ってしまう、切ないこの頃です。
週末、2泊3日の弾丸帰省から戻ってきました。


初日は実家に到着したのが夕方。
最終日は実家を出たのがお昼だったので、正味2日未満の超短期滞在・・・

それでも妊娠35週のこの時期に無事に帰省することが出来、父と良き時間を過ごすことが出来て、本当に良かったです。


中日には夫と二人で父の掛かる大学病院へ赴き、主治医と直接話をすることが出来ました。

1か月ぶりに再会した父は退院直後にも関わらず顔色も良く、庭いじりをする気力もある状態だったものの、主治医の話を聞く限り、父の置かれた状況が非常に悪いことには変わらず。。。

母から事前に渡されたCT画像コピーを確認した夫も、主治医の話を聞くまでもなく父に残された手立てがないことを認識し、主治医の説明には納得していました。


食道原発部の再発も、他臓器転移もないけれども、唯一抗がん剤の効かなかった頚部リンパ部の腫瘍。
この位置が、あまりにも悪すぎる・・・

再手術による切除も不可、気管や食道へのステントの挿入も不可。
残された手立ては、少しでも父が苦しまないような" 終末医療 "のみ。
窒息の危険は、病院に入院していても自宅で過ごしていても変わらないため、父本人が苦しさを感じない限りは自宅で過ごして良いとのこと。


出産予定日まで残り5週間、父がそれまで意識をしっかり保った状態で生き続けてくれる保証を得ることは出来ませんでした。
覚悟していたことではあるけれども。


それでも今回の帰省で、父に我が子の胎動を感じて貰うことが出来、夫婦仲良い姿を見てもらい、涙も不安な顔も一切見せることはせず、過ごすことが出来ました。
あと私が父に対して出来る親孝行は、元気な我が子を無事に出産すること!


帰ってきた今は、ただただ自分の出産準備に専念したいと思います。