これまでのこと、今の状況。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。

長らくブログから遠ざかってしまいました。
7月に出産、8月に大分県から福岡県へと引っ越しを行い、その後も日々の育児の慌ただしさが言い訳です。

丁寧にコメントを下さっていたのに、コメントへの返信も出来ず、本当に申し訳ございません。

遅ればせながら、この場をお借りして御礼申し上げます。

* * *


7月に我が子を出産してすぐ、両親が大分まで来てくれて、涙に濡れた日はもう遠い記憶・・・

父の生への執着と強い気力で、今年の夏までは大好きなバイクで湘南海岸沿いを走って気分転換をはかれる状態でした。
バイクに乗り続けようという気持ちが、生きる活力そのものになっていたのです。

そして、これは前々から心配していたことですが、9月に入ってバイクの運転中事故を起こし( 一時的に意識が飛んだそう )、救急車で大学病院へと搬送・・・
幸いその事故で父の身体に大きな怪我は無く、検査のみで入院もせずに自宅に戻ってきましたが、バイクを廃車に出したことで、父が自宅の門外に出る機会が殆ど無くなりました。
また、その時の検査でガンの全身転移が認められました。

結果、延命措置としての抗がん剤治療を辞めると同時に、睡眠薬や痛み止めなど、全ての投薬治療を中止。
自宅にこもりっぱなしになってしまった父の体力はみるみる落ちて行き、日常生活で母の介助が必要になるように。


そんな状況だと知った11月上旬、我が子を連れて、実家に一度帰省をしました。
数か月ぶりに会った父は、意識ははっきりしているものの、体を起こすのもやっと。
椅子にも10分ほどしか座っていられず、体重は30キロ半ばほどになっており、見るのも痛々しい状況でした。
その時の父は、次に入院したら、もう自宅に戻ることが出来ないことを覚悟していました。

それでも、我が子の成長を父に見てもらうことが出来、楽しい時間を過ごすことが出来たことは、今思うと本当にギリギリ最後のタイミングだったと振り返ります。


それからまた1か月が経過し、11月下旬。
父自ら入院したいと希望し、入院したとの連絡を受けました。

食事も殆ど摂ることが出来ず、淡が絡んで呼吸も辛く、淡の吸引は更に辛く、身の置き所がないほどに体が辛いと訴える父。
母にお願いをして、私が一方的に話す形で父に電話に出て貰いましたが、私が話す内容に「 うん 」と答えるのも辛そうでした。


12月5日には、もうまともに話せなくなることを覚悟の上で、モルヒネの投与を決めました。

12月6日の朝、主治医に呼ばれた母は、

「 腎臓の機能が低下しているので、あと1週間程度でしょう。
 会わせたい人に会わせてあげてください。」

と宣告を受け、一番に私に連絡をくれました。



それが今の状況です。


次またいつ、ブログを書けるかは分かりませんが、今はただただ、父に気持ちを寄り添っていたいと思います。