懺悔。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


ここに来て、この1年を振り返る師走の年中行事に乗じた(?)懺悔です。



こんなブログを書いてると、さぞかし私は昔から両親大好きな親孝行娘だったかの印象を与えていると想像してしまうのですが・・・

それはとんだ大間違えで、実際は180度真逆の奔放娘でしたガーン


自分が20代の頃・・・というか大学時代半ばに一人暮らしを始めて以降の独身時代、私はほとんど実家に寄り付かず。

海外を飛び回ってバリバリ仕事をしていたという事情があったにせよ、正直なところあまり実家が好きではなく、

 「 自分で稼いだお金で好き勝手やって、誰に何も言われないってシアワセ~音譜

ってことを本気で思い、それはもう好き勝手にノビノビ独身時代を謳歌してました。


海外出張は毎月で、それに加えプライベートでも年に何度も海外旅行に出掛けていたので、実家が都内から1時間程度の距離にあるにも関わらず、帰省は年に1度あるかないか。
盆暮れ正月全てスルー。
帰ったとしても、日帰りダッシュ

香港に駐在していたことがあったのですが、駐在になったとの連絡もせず、住所も教えず渡航してしまったので、後になって私が行方不明になったとエライ心配を掛けたことも。。。

イラクでフセイン大統領が暗殺された時はシリアに滞在しており、その後の移動先のヨルダンで大規模抗議デモに巻き込まれた時も親に渡航連絡しておらず、(幸い何事もなく予定通りに帰国できましたが)親より先に死ぬこともあるかも知れないと思ったことは1度に限りません。。。

振り返ると本当に、自分のことしか考えていなかった親不孝者ですクシュクシュ

親からは「 宇宙人 」とか「 抵抗勢力 」とか呼ばれてました誰



そんな独身時代の中でも山あり谷あり沢山経験し、ダンナさんとの結婚が決まり・・・

こんなぶっ飛んだ娘の自分でも無償の愛情を注ぎ続けてくれていることや、私の結婚を心から祝福してくれる両親の深い愛情を実感したとき、その存在の有難みを心底感じるようになりました。



そして結婚して半年後に、夫の要望もあって退職。

子供がいない状態で専業主婦になったことで、両親との時間を作れるようになったのです。


・・・ これからは親子関係をきちんと仕切りなおして、親孝行を沢山しようビックリマーク ・・・


父の病が発覚したのは、そう思って実に間もない時でした。



  " 親孝行、したいと思った時に親はなし "



その言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる占拠し、己の勝手な懺悔心から開設したのがこのブログであり、ここ数か月の私の行動です。


父の罹患が分かった後、両親の事を心配している気持ちは神に誓って本当だけど、両親のためなどキレイ事を言うつもりはありません。
その気持ちの所以が「 親孝行しないままに親を失って、自分が後悔したくないから 」という潜在意識にあることを否定できないから。



どこまでいっても、自分勝手な娘でごめんなさい。



だけどこの自分勝手な懺悔の延長上に、少しでも両親の気持ちの安堵が存在することを、願って止まない今日この頃です。