例えるなら | 中小企業診断士試験14回目の挑戦

中小企業診断士試験14回目の挑戦

2023年は227点、13点足りず不合格。
2024年196点に後退
2025年も不合格192点に後退
2026年一次試験の11回目の合格に挑む。

試験終了から丁度一週間が経過した。先週の日曜日に受験したのが遠い昔のことのようだ。

合格したい気持ちが募るばかりだが、合格のために今更何もやりようがなく、不合格であるに決まっているので、期待することはそれだけ現実に向き合ったときに辛くなるだけだ、などと、とりとめもない考えに支配され続けている。

この気持ちを例えるなら、試験を受けて結果を待っている時の気持ちだ、そう、例えになっていない。

この気持ちは他に例えようがなく、試験の結果待ち以外の何物でもない。

そう考えていたが、四六時中一つの事に支配されている、という言葉が、久しく感じていなかった感覚を呼び覚ました。

「片想い」である。五十歳過ぎたおっさんが使うにはおよそふさわしくないこの言葉が頭に浮かんだ。

上手くいくはずがない、だがひょっとして上手くいったとしたら、そうであって欲しいけど、そんな筈はない、でも、手応え的には......

試験の結果待ちと片想いはとても似ている気がしてきた。

結果が知りたくもあり、また知りたくもなし、

うれしいような、せつないような感覚である。

片想いなら慣れたものだ、相当数の玉砕を繰り返してきており、失恋マスターを自負するほど、失恋に関しては達人だ。不合格、どんと来い、となる筈はない。失恋に免疫性などないのだ。何度経験しても、いやむしろ経験すればするほど悲しみが深くなるという性質が、片想いが片想いで終わった時の感情にはあると思う。

同じく試験結果を待たれているご同輩から「ふざけてんのか」と突っ込みが来そうだが、これが偽らざる心境だ。

ちなみにこれまで100%の確率で片想いは成就しなかった。

これは当たり前だ。成就してはもはや片想いではない。合格以外は全て不合格でしたと言っているのに等しい。先週試験で今週末は東京出張で少々疲弊している。

言いたかったのは、圧倒的に振られたケースが多かったという事だ。