「転ぶ事」を診断士試験対策に置き換えると何になるか。
『転ぶこと=避けたいこと、悪いこと』
『上達すること=転ばないようになること』
という構図は誤っているとあるので、
「転ぶ事=受験失敗」ではない。
転ぶことが上達しないとスキーが上手くならない。
ここから考えてみる。
スキーが上手くなる事は受験に例えると何になるか。
これは試験に合格する事ではなく各科目の実力が付くという事だろう。
広いゲレンデを滑走する爽快感、華麗なるクリスチャニア(この表現に愛着がある)を決めて女子の視線を釘付けにする、これは診断士試験に合格して得られる達成感や充実感に近いものがあるかもしれない、それはともかく。
科目の実力が付くとはどういう事か。
どのような問題が来ても殆どすらすらと解けてしまう事だろうか。
これはスキーで言えばどんなコースでもすいすい滑走する事と似ていると思う。
では、この状態になる為に、転ぶ事、即ちつまらないが身につけなければいけない事とは受験においては何か?
単純に考えれば間違った答えを出す事だが、
『間違った答えを出すこと=科目の実力が付く』
これでは説明になっていない。
転ぶ事でけがを避ける、という事から考えると、「受け身をとる」事だろうか。
迫りくる危険を察知してそれを避けるために転ぶ。
『他の人とぶつかることを避けられますし、
何回転んでもケガをしません。
上手に転ぶことができないと、
転ぶことを嫌います。
転ぶことを=避けたいこと、悪いこと
上達すること=転ばないようになること
という誤った構図ができてしまいます。
こうなると上達しません。』
柔道の最初の授業が「受け身からはいる」事が最初に閃いて、それを軸に考えを巡らせたがどうもしっくりこないが、
『転ぶことはミスを事故につなげないための手段です。』
となるとやはり受け身だろうか。
では受験勉強における受け身、とは何か。
イメージとしては問題を解いていて起こりうる事故(=不合格)を察知して
それを避ける事。
ここで昔の講義の内容を思い出した。
「ミスは起こる、人間だからこれは避けられない、
そのミスを事故につなげないことが肝要」
転ぶことは受験に例えていうならば確認する事か。
つまりこれがミスを事故につなげない為の手段だ。
そして転ぶ練習というのは確認の練習という事だろう。
確かに問題を解いたら正解かどうかが早く知りたくて確かめることなく正解を見て
一喜一憂することに重きが置かれ、確認などというつまらない作業は避けたい。
しかしこれでは受験失敗という大事故につながるのだ。
つまらなくても「転ぶ事」、即ち「確認作業」の練習は積まなければいけないのだ。
説明は拙いが自分としては腑に落ちた。
それにしても受験対策を「滑るもの」で例えるというのはスリリングだ。
「うまく滑る」=「合格」
とは皮肉な結論。