岩橋千塚古墳群は、和歌山市東部の岩橋山塊に位置しています。 東が矢田峠、南が和田盆地、西と北は日前宮のある平野に接した 、東西約3km、南北約2.5kmの範囲に5世紀初頭頃から7世紀後 半にかけて約850基の古墳が造られました。この範囲は地形など から花山 大谷山・大日山・前山A・前山B・和佐・井辺・井辺 前山・寺内・山東の10地区に区分されています。 古墳群は、すでに江戸時代にその存在が知られていましたが、 明治期に徳川頼倫や大野雲外らによる調査が実施され、 明治44年(1911) にはNGマンローの著書 'Prehistoric Japan' により広く海外にも紹介されました。 その後も和歌山県や 和歌山市等により発掘調査が実施されています。 この古墳群には、大小の前方後円墳、円墳、方墳が混在し て分布し、各古墳には横穴式石室、竪穴式石室、箱式石棺 など多様な埋葬施設が造られています。 また、 紀ノ川南 岸に分布する結晶片岩を用いた横穴式石室は、 石棚・石梁 をもつ独特な「岩橋型横穴式石室」として知られています。 この古墳群のうち、最も古墳が密集する約430基を含む範囲 が国の特別史跡として指定されています。 和歌山県では、岩橋千塚の県有地化を進め、昭和46年(1971) から紀伊風土記の丘として古墳群の管理を行うとともに、 資料館を開設して岩橋千塚古墳群をはじめとする県内の 考古・民俗資料の展示を行っています。
keyword 紀氏 きし 豪族
紀臣 きのおみ 紀直 きのあたい これらは氏族
紀臣ー瀬戸内航路に分布 水軍の性格
紀直ー紀ノ川南岸が本拠 紀国造家 きこくぞうけ の性格 日前神社 ひのくまじんじゃ
岩橋千塚古墳群は紀直系集団の古墳群
下の写真は戦後(1954)に木々が燃料獲得のために伐採された
状況です。まさにスキーゲレンデのこぶこぶの様です。