仕事終わりに高速に乗って、腹が減るだろうとパーキング エリアでコロッケ蕎麦を手繰り、更に焼きそばパンと珈琲まで飲んで余裕をかましていたが、都内に入ると大渋滞だった。神田橋は事故で発煙筒がたかれ閉鎖されていて降りるに降りれない。パトカーが何やら拡声器でがなり立てていた。ようやく会場近くに着いた時にはもうトイレに行きたくて…それでも噺を聞き逃さんと会場に入るとマクラが始まったばかりのようだった。
目の不自由な人のマクラだからこりゃ「景清」かなと思ったらその通りだった。
「景清」は一年くらい前に麻布の師匠の会で聴いたことがある。あの時は素晴らしかった。
さて今回は如何に?
目が見えなくなり願掛けに日朝様に行くがしくじり、清水寺に仏罰を含めて100日という途方も無い期間通いつめた定次郎という男の噺。100日という期間はこの男にとっては相当に長く感じたはずである。師匠の演る定次郎はその焦燥感に溢れていた。満願となっても目が見えず観音様に毒ずくシーン。親身になってくれている石田の旦那にどうしてそこまで毒ずくのかを明かすシーン、不覚にもジーンとしてしまった。もはや定次郎のみならず、お袋さんの希望も背負っていたのだ。
お見事と言うより他は無い。
比較的シンプルなストーリーなのだが人の人情に訴えかけるいい高座だった。
ここでお仲入り。そうだ、トイレに行かねばとここで気が付いた。
さて二席目は「お見立て」である。
これも良く出来た噺である。嫌がる花魁喜瀬川と、しつこい田舎の男杢兵衛に挟まるれる喜助の噺だが、喜助が汗だくになりながら右往左往する様が楽しい。それに比べて喜瀬川も杢兵衛も動かない。それでいて二人とも無理難題を言ってきて喜助にムチが入れられ、馬車馬のように走ろうとする。極端なはなし、この対比を楽しむ噺ではないだろうか。
師匠の演る喜瀬川も杢兵衛も極めて悪気も無く喜助に頼みごとをする。これが意地悪な魂胆が僅かにでも滲み出てくると台無しな噺なんだろう。ここに話手の人間性が現れる。
これもお見事であった。
この後席亭との対談となり、吉原の噺、女郎買いの話などになった。
対談の後は打ち上げとなった。
甘味処というコンパクトなスペースではあったが、師匠も存分に演ってくれて盛会のうちに三回目の幕を閉じた。
そうそう、ソフトクリームも美味しかった。
なんでも第四回目もやるそうで、今から楽しみである。