「無双の花」
前回ブログに書いた四王寺山に桜が満開の時に登山しました。高橋紹運が島津の大軍を迎え撃って玉
砕した岩屋城の本丸跡はこぢんまりとしたもので眼下に大宰府・都府楼が一望できます。そこに島津
勢が押し寄せて来たわけです。降伏すれば生き延びる途はあったのに紹運は「裏切らぬ」ことに「義」を
見出し武士として死んで行きました。
紹運の実子、戦国武将 立花宗茂を主人公にした「無双の花」という時代小説が出版されていますが
作者 葉室麟さんの「立花宗茂 ー小説と史実ー」と題するトークショーが宗茂ゆかりの柳川「御花」で
開催されたので参加してきました。参加人員が当初予想をはるかにオーバーし急遽間仕切りを拡げて
座席を増設する盛況ぶりでトークショー終了後のサイン会にも約100人ほど列をなしました。
日頃おこないの良い私はそのトップを奪取することに成功、開始までの間、後ろの旅行カバンを提げた
若い女性に話しかけ、どこから来たのか尋ねると岡山、その後ろは東京の女性でした。見渡せば今
流行の「歴女」らしい若い女性がチラホラその中には彼女らと同じく県外から来た人もいたでしょう。
直木賞受賞作「蜩ノ記」を読んで葉室ファンになりトークショーのためにわざわざ駆けつけたとのこと直木
賞受賞の威力は絶大です。サイン会で為書きをお願いすると「出来ないんですよ。皆さんに書かなければ
ならなくなるんで」と本当に申し訳なそう顔をして断られた。その表情に彼の心の優しさを垣間見る想いが
しました。葉室麟が描く悪人がどこか極悪に見えないのは彼の優しさから来ているのかもしれません。
生き方
弊社が管理させて頂いている「イルグランデ春町公園」のお部屋のバルコニーから東南の方向を眺めると四王字山が見えます。この山の中腹に岩屋城跡があります。
今から400年余り前の戦国時代末期に、この城をめぐり大きな戦がありました。岩屋城の戦いです。攻めるは薩摩・島津軍約2万に対し守る城兵約800弱。どうみても守る方には利はありません。率いるのはは当時北部九州を治めていた大友方の武将 高橋紹運。 簡単に攻め落とし秀吉の九州西下前に九州を制圧したかった島津軍は降伏勧告・甘言を再三だしますが紹運は主君への忠義を貫く為にこれを拒否し徹底抗戦。裏切りに次ぐ裏切りの下克上の世にあって稀有なことでした。しかし多勢に無勢壮絶な戦いが繰り広げられたものの将兵全員玉砕。紹運39歳。負け戦と分かっていて最期まで紹運に付き従う将兵、紹運という人は将兵に慕われ余程の人望があったものと推察されます。
さて話は変わりますが第146回直木賞を受賞された葉室麟さんの受賞後第一作「無双の花」は筑後柳川藩主立花宗茂が主人公です。秀吉・家康に武将として賞賛され柳川藩主となったものの関が原の戦いで西軍に属したことで一転敗軍の将として没落し浪々の身となるも「立花の義は裏切らぬこと」の信念を貫き生きる宗茂を徳川家も高く評価し関が原の戦いから20年後経ってようやく旧領柳川に大名として復帰しました。
西軍方の武将として旧領に復帰できた唯一無二の人物であり外様大名を警戒していた徳川家の立花宗茂に対する信頼の厚さがうかがえます。
島原の乱の際、諸大名は立花宗茂出陣の報に接し大いに湧きかえったと伝えられています。
何故、立花宗茂を持ち出したか歴史好きの方ならお分かりなると思いますがこの宗茂こそ「義」に行き死んでいった高橋紹運の実子だからです。紹運・宗茂親子は「立花の義は裏切らないこと」を信条に人生を全うしました。彼らにとっては素晴らしい人生の処し方だと思います。
人生は何年生きたかではなく有限である自分の生を「いかに生きるか」を考えるとき一人の人間が経験できることには限りがあり時代こそ違え歴史の中には現代にも通用する多くの出来事が学ぼうすれば教えてくれます。
近いうちに四王字山に登り岩屋城跡で紹運の生き方を偲びます。
初体験
恥ずかしながら私の初体験を告白します。還暦を前にしての初体験でした。雨の土曜日、ジャガイモの収穫に行
ってきました。このジャガイモは9月10日に私が種芋を植え付けたもので約3ヶ月いよいよ収穫の日を迎えたので
した。鍬を畑に入れると大きなジャガイモがゴロゴロ出てきます。その中にふやけたイモが一つ、そうです、私
が植えた種イモです。種となり子孫を増やし役目を終えた姿であり、こんなところで自然の摂理を教えられまし
た。与えられる物に対する感謝の念、自然の素晴らしさに心が癒される思いでした。確信しました。
今後は福岡という都会のアーバン・ライフを楽しみながらも半農人を目指し、自産自消を心がけます。