当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にしていくことで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。

 

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 もう宵月か。長い夏休みが終わって憂鬱な大学生も多いかな?

 

 

勝手に作った和風月名を早速使っている!

 

 先月書いたブログは、この謎の提案だけになってしまった。本当はもういくつか書いてみたんだけど、面白くないなぁ…とボツになったんだよ。ブラッシュアップできたら、近いうちに投稿したいな。

 ということで、いつも通り先月の振り返り今月の抱負を書いていこう。

 

 先月の振り返り

 

 先月の抱負は「新人賞に応募する小説を完成させよう」だったんだけど、ひとまずこれは達成できた。いつもの抱負と違って、できたかどうかがデジタルに決まる目標だったから、達成できて一安心だよ。推敲作業はなかなかに疲れたけれど、とりあえずこれで一区切り。あとは応募を待つだけだ。

 

 そして他にも執筆はしていたよ。公開できたもので言うと、まずは1600字で完結させる掌編小説集『流離う耽譚ショート』に新作を出した。

 

 

 僕の小説ではいつも没入するような一人称視点で書くことを大切にしているんだけど、言葉を持たない者が主人公だったらどうなるんだ?ということを考えたの。

 そして、それは『吾輩は猫である』があるじゃないか!と気がついた。以前『ヒナちゃんが大好き』という小学生が主人公の掌編小説を書いたことがあるけれど、この場合は子どもらしい表現である方が人物はリアルに魅力的に映る気がした。でも、猫のように完全に言葉を持たない者を主人公に置く場合、語ること自体がファンタジーであるから、どんな語彙を使っても、もはや自然に映るかもしれない。

 それを踏まえると、逆にどの年代の人が使ってもリアルではないような難しすぎる言葉は、言葉を持たない者に語らせることしかできないのではないかとも思えた。そこで選んだのが「赤ちゃん」だ。乳飲子が難しい言葉を使いまくっているという状況はシュールで面白いのでは?という発想一つで書いた滑稽話(のつもり)が『おぶわれて夏』なんだ。

 

 

でも、読んで笑えるためには、その難解な語彙を卒なく読めないといけないってことだよね。誰向けのエンタメなんだろう?

 

 うん、だからどう楽しめばよいのか不明な物語だなと思っているよ…。

 

 まぁでもさ、こんな新しい視点の書き方もあるよって表現できたから満足だよ。たった1600字の小説なんだし、ワンアイデアでも許してね。

 

 

 それから久々に随筆集『拘泥る耽筆エッセイ』にも新エピソードを投稿したよ。

 

 

 こちらは、中学生時代に不登校を選んでいた頃のお話。少し書きたい事柄が多くて、4800字(1600の倍数にしたがり)になってしまったから、「5分で読める」という謳い文句は、さすがに嘘かもしれない。

 それにしても、久しぶりにエッセイという体裁の文章を書いてみたら、小説を書くときのような頭の使い方がデフォルトになっている感覚がしたんだ。エッセイというより私小説っぽさが増したかなと思っている。言い換えれば、別にこれがフィクションであっても成立しているような気がするんだよね。

 この『有終の染色』で取り上げた友人は、先月誕生日を迎えた。今でも一緒にパーティをするくらいには仲良くしているよ。ただ、エッセイでは彼をカッコよく書きすぎたなぁと後悔しているんだよね。というのも、本人に読まれてしまって…。めちゃくちゃ恥ずかしかったな。向き合うと軽口を叩いてばかりになるんだけれど、エッセイのためにと、丁寧に向き合って大切な人を描写していると、感謝ばかりが溢れてしまい、締まりがなくなる。
 フィクションを書くと、自己意識が鋭くなって、理想的に透明な作家像が見えてくるけれど、経験を文章に昇華させると、人間臭い体重で汚されていく。でも、この臭みが理想論に生命力と説得力を与えると思うの。浮世離れしすぎず、世俗に毒されず、上手いバランスで作家性を磨いていきたいね。

 

 

 あと、先月は久しぶりに『微睡む耽呟ラヂオ』もやったね。

 

 

 エピソードトークだけで30分も話したのは初めてだ。文筆活動がお喋りにまで影響している気がするよ。昔は吃ってばかりいて、喋ることは苦手で堪らなかったけれど、ちょっとずつでも克服できてくると楽しいもんだね。

 

 

クリハロくんは本当に自己表現が大好きだね。

 

 先月は、ブログ・ラヂオ・ショート・エッセイ、全部たった一つずつだけど、全種類できて、よい月だったよ。クリハロの色々な面を見せられて嬉しいね。

 

 

 今月の抱負

 

 さて、今月の抱負を書いていくよ。

 

 先月、多種類の活動をしてみて、クリハロの「耽シリーズ」を再考してみた。

 最初は、このブログ「揺蕩う耽綴ブログ」と、生配信の「微睡む耽呟ラヂオ」の二つで「書くこと」と「話すこと」という言語活動の基本的なアウトプット先を作っておこうと思ったんだ。ただ、もう少し芸術性を持った、随筆集や小説集が欲しくなって「拘泥る耽筆エッセイ」と「流離う耽譚ショート」ができた。
 ここまで来ると、僕の言語活動をすべて耽シリーズにまとめたくなってくる。まだシリーズ化できていない「文芸の種類」は何があるかと考えると…抜け落ちていたものに気がついた。

 

…あ!韻文だ!

 

 

コラムや評論、論説文、日記などの文学性のない文章はブログに託すとして、文学的文章のカテゴリーに、随筆・小説だけでなく韻文まで加われば、確かにすべての文章をカバーできそうだね。

 

 ということで、クリハロの韻文集、題して〜

 

今月末に公開予定

 

 一年前に、短歌を50首「31日のおまけ」に公開したことがあった。

 

 

 この頃は執筆の名義「樅木 霊」さえ生まれていなかったけれど、短歌や俳句を作ることは昔からそれなりに好きなんだ。今月からは、それだけでなく、詩などの表現にも挑戦してみたい。ということで今月の抱負はこちら。

 

韻文という新しい表現に手を伸ばそう

 

 「口遊む耽詠ポエム」と名付けてはみたけれど、まだ収録する内容は決まっていないから、今月の「31日のおまけ」に向けて詩を作り、これまで作ってきた韻文も含めて、「口遊む耽詠ポエム」として、月末に公開するね。

 

 文芸は面白いね。芸術の秋をまだまだ楽しんでいこう。

 

 

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 少しずつ長月も涼しくなってきたね。

 今回は和風月名についての話をしよう。

睦月、如月、弥生、卯月、
皐月、水無月、文月、葉月、
長月、神無月、霜月、師走

 って、みんな覚えているかな?

 

 

俳句だとかで使うと情緒が出るよね。

 

 和風月名を使うことで、趣きが醸し出されるのは確かなんだけど、旧暦を参考にして決められたものだから、現代の感覚には適さない名称になっている気がする。

 例えば8月の「葉月」は「葉が落ち始める月」という由来を持つとされているけれど、陽が燦々と射している8月の描写には合わないよね。

 

 それから、文字数も同じでないし、◯月で統一されていないのも、どうも気に食わない。なぜ三文字なんだろうと由来を調べてみると、水無月は「水が無い月」という意味ではなくて、「水の月(無は「の」を意味する)」を意味して、田に水を引く時期であることを示した名称であるとする説があった。

 

なら「水月」でいいだろ…

 

 弥生は「木草弥生月:木や草がますます生い茂る月」を縮めたものだそうで「ますます」と「生える」より、草とかの方が意味的に大切だろうと思えてならない。

 

 とりあえず表記だけを考慮して、ちょっと手直しすると…

睦月、如月、芽月、卯月、
皐月、水月、文月、葉月、
長月、神月、霜月、忙月

 みたいな感じにできるかな?

 

 

また勝手に伝統的なものを変更してる!

 

 

 暦自体を変更しようと考えたこともあったし、今回は言葉を考えるだけのことだから、大した提案じゃないけどね。和風月名の一貫性のなさを観察していると、現代にも適合して、規則も理に適っている新・和風月名を考えてみたくなった。

 僕のポリシーとして、何かを変更する場合、今あるものをちょっと手直しするのではなく、抜本的な変更によって体系的に整理された状態に直すのが好きなんだ。

 

 

 グレゴリオ暦やQWERTY配列はちょこちょこ直し続けたせいで、意味不明なデファクトスタンダードが生まれてしまった悪い例だよね。こういう状態に至らないように、ちゃんとゼロから考えてみよう!

 

 新・和風月名

 

 生活において、月名は数字で管理する方が優れている。英語のように日付を表すだけのことが記号と数字のみで完了しないのは、日数を計算する上でも、表記の上でも非常に扱いづらい。

 だから、これから考えるいくつかの「新・和風月名」は、情趣に全振りしたものであってよいね。俳句などで使うことを念頭に置いて、その月の季節を解釈する上で新しい視点を与えられるように設計しよう。

 

 冠位十二階を使った月名

 

 十二個のものを規則的に分けるためには…と考えると、素朴な発想として、もともと十二個あるものを月名に充てる方法が思いつく。十二個あるものといえば、十二支や黄道十二星座などが真っ先に思いつくね。

 

 

十二支は、昔の中国で月名に使われていたし、十二星座も暦を十二等分するのに使われているから、確かに上手くいくね。

 

 ただ、これはもう既に行われているから面白みがない!
 「子月、丑月、寅月…」とかやって、何が面白いんだ?

 

 そこで、ちょっと変わった十二個のものとして「冠位十二階」が思いついた。和風なものを考える上で、日本最古の冠位制度を引くのは洒落ている気もする。

 「大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智」となっているけれど、大小で分けるのは面白みに欠けるから「徳仁礼信義智」それぞれの色を用いて、一月から順番に次のように表そう。

1月:徳月──2月:紫月

3月:仁月──4月:青月
5月:礼月──6月:赤月 

7月:信月──8月:黄月

9月:義月──10月:白月

11月:智月──12月:黒月

 奇数月はかなり抽象的な漢字が多いから、月に対するイメージを人それぞれ抱けそうだよね。偶数月は「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」なんて言葉の通り、色がちょうどそのあたりに来ているおかげで、元来の感覚に符合している気もするんだ。

 

 たまたまの割に上手くいったけれど、もう少し自然を生かした命名もしたいね。

 

 花札を使った月名

 

 和風月名を使ったカードゲームとして、花札がある。花札の絵柄は、かなり日本の伝統に即して色々な意味合いが込められているものだから、これをそのまま使ってよいかもしれない。

 ただし、菖蒲・牡丹・紅葉だけが、漢字二文字なのが問題だね。菖蒲は菖、紅葉は椛と書き換えてもよいけれど、牡丹はどうしようもない。そこで、牡丹を意味する漢字は創作することにして、次のように表そう。

1月:松月・鶴月

2月:梅月・鶯月

3月:桜月・幕月

4月:藤月・鵑月
5月:菖月・橋月

6月:𤘪月・蝶月

7月:萩月・猪月

8月:芒月・雁月

9月:菊月・盃月

10月:椛月・鹿月

11月:柳月・雨月

12月:桐月・凰月

 

 

何がなんでも漢字二字で表してやる!っていう気合いを感じるね。

 

 多少の無理はしたけれど、植物などの自然物を用いた月名としては、理想的な気がするね。さすが任天堂!

 ただ、既存のものを使うことは公平だけれど、せっかくならもう少し個人的な感覚で詩情を働かせた命名もしてみたいな。

 

 色を使った月名

 

 冠位十二階の月名のときに、色を登場させる案を出したね。月に色を感じられるのは素敵だと思う。そこで、色だけを使う月名もよいかもしれないと考えた。暦は循環するものだから、色相環という循環するものをメタファーにするのは、的を射ているよね。「四季」と「色(シキ)」を掛けちゃったりして…!

● 1月:紺月(こんづき)

● 2月:藍月(あいづき)

● 3月:縹月(はなだづき)

● 4月:空月(そらつき)
● 5月:葱月(きづき)

● 6月:苗月(なえづき)

● 7月:鶸月(ひわつき)

● 8月:金月(こがねづき)

● 9月:橙月(とうづき)

● 10月:紅月(べにつき)

● 11月:藤月(ふじつき)

● 12月:紫月(しづき)

 なんとなく月のイメージに適合している気もするし、隣り合う月が似た色になりつつキレイに一周りさせられたね。

 

 時刻を使った月名

 

 循環するものとして思いつくのは、時計もある。先に引用した「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」は人生を四季に喩えたものだけど、長いものを短いもので置き換えるとイメージが湧きやすい。そこで月名を時刻に関する表現で表してみよう。

1月:眠月(みんげつ)

2月:黎月(れいげつ)

3月:暁月(ぎょうげつ)

4月:曙月(しょげつ)
5月:朝月(ちょうげつ)

6月:閑月(かんげつ)

7月:昼月(ちゅうげつ)

8月:穏月(おんげつ)

9月:夕月(ゆうげつ)

10月:宵月(しょうげつ)

11月:晩月(ばんげつ)

12月:夜月(やげつ)

 これもなかなか味わいがあるね。昼に関する漢字があまり思いつかなくて、感覚的なものにしたけれど、昼下がりの8月を穏やかに過ごすことは、豊かなを心を持つのに大切な気がするよ。

 

 

色や時間といった直接的に季節と関係することはないモチーフを使うことで月に関する見え方が広がった気がするね。

 


 

 「新・和風月名」いくつか考えてみたけれど、お気に入りはあったかな?

 

 自分なりに月に思いを馳せて作り出すのも面白い。好きな月名を大切に詠み入れることで、少しずつ意味を深めていけるかもしれないね。伝統や言葉も初めに作り出した人がいる。みんな、その一員になってもいいんだよ。

 

 

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 こんにちは。一ヶ月ぶりだね。みんな元気にしていたかな?

 

 

8月に誕生日を迎えたクリハロくんをお祝いしてあげてね!

 

 

 子どもたちは、どんな夏休みを過ごしていただろう?夏の終わりって、児童生徒の自殺率が上がるんだけど、みんな死なないでね。死ぬくらいなら、夏休みを勝手に続行すればいいと思うよ。

 最近、創作系の人が多いDiscordのサーバに入ってみたんだけど、芸術にばかり傾倒している自閉症の僕でも浮きはしないあたたかな場所だった。今はインターネットもあるし、誰もが孤独じゃないんだなって思うよ。あなたもね。

 

 さて、先月は仕上げたものがあまりないから、ブログ記事の宣伝は少ないけれど、いつも通り先月の振り返り今月の抱負を書いてみよう。

 

 先月の振り返り

 

 ネットで活動する人の多くは、夏休みにアクティブユーザーが増えることを見越して、コンテンツの量を増やす傾向があるそうだね。ただ、僕は一本もブログを出さず、一人で黙々と小説を執筆するという自己満足の極みの夏に浸っていた。

 だから、先月の抱負「新人賞に向けて執筆漬けの夏休みを楽しもう」は十分に達成できたと言えるけれど、振り返りを書いたところで「ずっと小説書いてました」ってくらいしか言うことがないんだよね。とはいえ、その執筆を手助けするように、休憩のためにしていたアウトプットもあるから、それを振り返ろうかな。

 

 まず一つ目の休憩は、7月に出した掌編小説集流離う耽譚ショート』の更新。1600字だけで完結させるというのは、長い小説を書くのとは全然違う頭の使い方をするから、リフレッシュになるんだよ。今回の話は、暑いなか外出したときに感じた倦怠感をできるだけポジティブに捉えようとした結果「空を美しく描写したい!」という衝動が生じて、その熱量を物語にしてみたもの。

 

 

 これからもこうやって『流離う耽譚ショート』や『拘泥る耽筆エッセイ』に関しては、不定期に更新するから、フォローなどして待っていてくれたら嬉しいな!

 

 

それにしても文章の休憩に、文章を書くって、大丈夫なの?
自閉症のクリハロくんは、すぐに頭がいっぱいいっぱいになっちゃうんだから、意識的に他のこともした方がいいよ!

 

 そうなんだよね。外出時に暇ができたら読書なんかもしてしまうし、頭を空っぽにする時間を意識的に作ることも必要だと思って「31日のおまけ」には、絵を描いてみたんだ。これが二つ目の休憩だよ。

 小説の表紙とか音楽のジャケットとか、何か作りたいものがあるときに副次的に絵も描くということはよくあるんだけど、無目的に絵を描いたのは久しぶりで、新鮮な気分になれたよ。執拗に左脳を回転させた分、鈍っていた右脳にもお仕事をあげられてスッキリできたな。

 

 

 蓋し、掌編小説の『窓外の素描』にしても、『夏を描く』の数枚の絵にしても、文字だらけの世界を脱するように、視覚的な表現を求めたことで生まれた気がする。視力の悪い僕にとって、視覚的な表現というのはリアルの再構築ではなくて、半分ファンタジーに寄っているような印象があるんだよね。でも、日常生活を送っていても充足されない視覚刺激を、言語や芸術という抑制された理性によって発見する営みは、僕の衰弱した視力を取り戻してくれるんだ。

 自分の表現力が磨かれるほどに、美しい景色が見えてくる。だからこそ、成長の実感と更なる創作欲が湧いてくる。こんなに嬉しいことはないね。もっと言えば、芸術の膂力も知れるんだよ。「自分の知らないこんなものまで表現できるんだ」「それによってこんな感情が生まれんるんだ」っていう芸術そのものの影響が広がっていく感動は、そのまま人生の幅に比例していくよね。
 新人賞に応募しようと書いている小説は、女性を主人公としているんだけど、他人の気持ちを慮ることが苦手な自閉症くんとしては、これが大変難しい。けれど、大好きな芸術の舞台に上げてしまえば、コミュニケーションでは足枷になる拘泥を思う存分発揮して、どんどん“他人”の視点に没入できるんだ。

 意図していたわけではないけれど、僕に困難な他者理解の援助ツールとして適切なのは、馬鹿にされている気がしてしまう療育ではなくて、芸術制作だったのかもしれないなと思えた。何より、自主的にやっているからよいんだろうね。

 

 

成長の種は、どこに転がっているかわからないね。

 

 今月の抱負

 

 さて、今月の抱負を書いていくよ。

 

 新人賞用に小説を書くというのは、真剣にやるとかなり骨が折れる作業なんだ。別に賞を取りたいという気持ちは特にないのにも関わらず、自分が納得できる適切なものを仕上げたいという欲望はある。だから、ずっと批判的に自分の文章に向き合っているし、この賞に合致している表現になっているかとかは気にしているんだよね。昔から、やるからには全力でやらないと気が済まない性格なんだ。

 出そうと決めた新人賞はそれなりに敷居が高いこともあって、まだ自信を持って完成だとは言えないでいる。そこで今月の抱負は、決意を固めてこうしよう。

 

新人賞に応募する小説を完成させよう

 

 

いつもは特定の成果を目標に置くことを避けるクリハロくんだけど、今月の抱負は達成できたかデジタルで決まる目標にするんだね。ずっと一緒にいるわたしとしては、気合いを感じるよ!

 

 まぁ…もうほとんど完成しているから「できた」って言えばよいだけの話ではあるんだけど、推敲を重ねるたびに改善案が出てくるんだ。少し変えると、全体感が損なわれていないか心配になって通して読んで、するとまた改善案が出てくる。

 今思うと、処女作の『剪断』は数週間で執筆したわりに、すぐに完成を宣言できたなんて奇跡だったな。初めてが故の無知で表現にこだわれず、僕が小説を書けたという驚きが些細なクオリティの問題を飛び越えて達成感を誘発したんだろうね。表現者としては、そんな鮮やかなナルシシズムも大切にしながら、今後も新たな表現に手を伸ばしていきたいところだよ。

 

 まだまだ秋と呼ぶには暑いけれど、引き続き、読書の秋や芸術の秋を目一杯に楽しんでいこう。今月はブログ出せるかなぁ〜

 

 

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