当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にしていくことで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。
どうもクリハロです。自閉症の代表的な特性でもある“こだわり”について書いていく試み。前回は「服」についてのこだわりを見つめていきました。
どんなこだわりがあるのか、自分自身でしっかりと把握できていることって、あまりないので書ける内容は絞られるのですが、よく振り返ってみるとなかなかおかしな感覚だなと自覚させられます。
今回もそんな自己嫌悪に陥るでしょうか……。
ため息混じりに、「食」のこだわりについてお話ししていきます。
※個人差が大いにあります。
※僕の個人的な見解であるとご理解ください。
猪突猛進!廃寝忘食!
僕にとって「食」とは…
憎き肉体が要求するわがまま
食べないで生きることができたら、決して食べたいと思わない自信があるよ。お腹を壊して入院したとき、点滴だけで過ごすことになると、ほとんどの人が口寂しくなるそうだけど、僕はむしろ「食」について考えなくて済んで、とても幸せだった!
僕は、人間として脳というか、僕のこの思考こそがとても大事で、「肉体」はそれの入れ物に過ぎないのに、逆に不調になったり、最後には死んだりすることで、思考の邪魔をしてくる厄介者だと思うの。
それでいて、毎日、栄養や休養など、さまざまな要求をしてきて、思考に使える時間を奪ってくるのだ!けしからん!
すみませんでした…。
美味しいものが好きという人が、芸術的に料理と向き合ったり、堪能したりすることは一向に構わないんだけど、どんなに興味がなかったとしても、毎日食べなくてはいけないという義務感が苦手…。
そもそも僕が一日の中で考えることとして、食事に関することはできるだけ減らしたい!そのために重要になるのが、ルーティン化だよ。
何時にどこでご飯を食べるか、何分で食べ終わるか、どのような工程(連続した動作の一環)で食べ終わるか…さまざまなことを事前に把握して、食事にかかる思考や時間のコストを最小化したいの。
自分で作るわけでもなく、出されたご飯を食べるだけなんだけど…このうるささ。
お母さんごめんなさい…
12時00分にナポリタンを食べると決まっていたら、その時間にフォークを掴んで、目の前の机より少し高い位置で、巻き始めればいい。って、それ以上は何も考えないで済む。そして、それを口に運ぶ動作を対象物が無くなるまで繰り返せば、晴れて、肉体による食事の刑罰(お昼の部)は完了だ。多分、5〜7分で完遂可能。
そうやって、できるだけ早くお腹をいっぱいにして、他のことを考えたいんだ。現代人になっても原始人と同じように肉体の要求に対する根本的な解決策を人類は見つけていないけれど、その時間的コストを最小化する術は少しずつ見出せているね。
それに僕は人から言われないと全然食べないの。「ご飯できたよ〜」の声まで、食事について一切考えていないし、その声を聞いても、耳に入ってこないでじーっとパソコンをカタカタやっていることもしばしばある。
料理をする人や飲食店の従業員には大変申し訳ないんだけど、僕は食事を極めて低層な考え事だと感じているんだと思う。
マズローの欲求階層モデルってあるじゃない?僕はこの低次の欲求を無視して高次の欲求を感じてしまう傾向にあるようで、特に食欲だとかの生理的欲求を感じているのは、自分が低能であるような気がしてきてならないの。
もう食事を用意するとかそういう考え事は、他者や社会、ルーティンにすべて任せてしまって僕はやりたいことを好きなだけ考えたいと思っているから、お母さんが出かけていたりすると、もう大変。リマインダー地獄になるしかない…。
ピピピピピピピピピ…って鳴ってても、気づかないことはよくあるけどね。
だから、本当にごめんなさい…。
僕はなんでも猪突猛進してしまう。マルチタスクが非常に苦手で、何か考え事をしていると、そのことしか考えられないんだ。だから、もしも食欲とかそういう欲求ばかりを考えることになると、ずーっと「何を食べよう?」しか考えない人間になる。
それはそれで、食いしん坊すぎるでしょ。そんな風に0か100かで生きてるの。100にしたくないことは、0にするしかないけれど、食事を0にしたら死んでしまうから、できるだけ0に近づける必要が、僕にはあるんだ。
疾風迅雷!一皿瞭然!
食事の準備(してないけど)や時間の決定だけでもなかなか大変だったけど、食事の行為そのものも、とても苦手なんだ。
「食べるだけ」とは…。食べるという行為は色々な選択を要求されるよ!
- どの順番で手をつけるか。
- 僕の一口の大きさで入るのはどの程度か。
- 冷めないように早く食べる必要はあるか。
- 他のものと連続させても味は問題なく食べられるか。
- できるだけすべての品を同時に無くすための配分はどうか。
もっといっぱい考えながら食べている気がする。本当に頭がオーバーヒートしそうなくらいで、よく食べ物の前でフリーズしてるんだ。
特に「すべての品を同時に無くすための配分」を気にしてしまうのは、辛いかもしれない。達成できないととてつもなく嫌な気持ちになるし、僕特有のこだわりかな。
例えば、一口大のものが4つあったら、これに倣って他のものも4等分して順番に食べていけばいいかもしれない。でも「一口の大きさ」という制約によって叶わなかったり「連続時の味の弊害」によって、その最適な順番も考えなくてはならなかったり、冷めると価値が下がるために早めに食べるべきものがあったり…。
一口ごとに、多変数の高次連立方程式を解かされているような気分で、僕のおつむじゃオーバーフローするね。フリーズも仕方ない。
こうした制約を乗り越えるために、僕の一口はどんどん大きくなり、食べる時間も非常に早くなって、大食いタレントみたいな食べ方になってるんだ。
ゆっくり食べなってよく言われる
しかし、まず攻略方法を考えて食べ始めるまでがとても大変。小さいときはいつも「食べたくない」と泣いていたよ。
それに、頭を抱えてしまったお母さんはメニューを工夫してくれるようになって、なんと我が家はいつもワンプレートの料理!
手前から食べていけばちゃんと食べ終わる、僕にとって安心安全な設計だね。
お母さんありがとう…
ワンプレートの料理になると、食事にかかる時間が大幅に減るんだ。学校で給食は食べないけど、家だととんでもない量を爆速で食べる人間になったよ。ハイカロリーな食事ばかりで、運動もしないのに、なんで痩せてるんだろうね。
それから、こんなことばかり言ってて、どんな味でも気にしないのかとよく言われるんだけど、意外とそうでもなくて不味いものは食べられないんだよね。食べなくても平気だから、口に合わなかったら「食べない」を選択する。食事の行為はいつだって苦痛なのに、味覚にまで苦痛を与えられるなんて耐えられないよ。
はい、ごめんなさい…。
肉体の要求になんとか応えて、仕方なく食べる僕だけど、計画通りにクエストを完了できると、なかなかの達成感がある。こだわりまくってるからこそ、感じられることかもしれないね。
僕のこと、うるさくて嫌いになったかもしれないけど、食事会とかは気にせず誘っておくれ。喜んで行くから!それに外食なら何食べてもいい!もうそれは、日々の食事ではなく、あなたと会うイベントとして楽しむから。まぁでも、できればワンプレートの方が嬉しいけどね…
って、なんか聞こえる…。え!もうご飯できたの!ちょっと待ってよ〜!
今日は麻婆豆腐を倒してくるね。それじゃあ、また!