誰でも思い出の中に鮮明に残っている場所や建物や景色をもう一度この目で見たいと思うことがありますよね。


だけど50年以上生きていると、思い出の街も家も公園でさえも姿を変えてしまっている方が多くなってきました。



遠く離れた思い出の場所を、Googleマップで探してみても、場所は確かに合っていてもそこに映し出される街や建物はすっかり変わってしまっています。


思い出はどこに行ってしまったんでしょう。

消えてしまったのでしょうか?


そんな時ふと思いました。


もしかしたらあの時の同級生の誰かが、私と同じようにあの教室を思い出していたら。

あの花壇のチューリップを思い出していたら。


隣の家のあの子が、「そういえば隣に同い年ぐらいの女の子がいたな。」と思い出してくれていたら…



そしたら私の思い出は幻じゃなくなるかも。



そして亡くなった人のことを思うのも同じなのかな?

その人のことを思えば、自分の心の中に生き続けていることになるのかな?なんてことも思いました。



そんなふうに思ったら寂しさが薄れてきました。



There are places I remember
All my life though some have changed
Some forever not for better
Some have gone and some remain


All these places have their moments
With lovers and friends I still can recall
Some are dead and some are living
In my life I've loved them all


ビートルズのIN MY LIFEの前半の歌詞ってまさに今の心境です。

(この歌の中の「In my life I love you more」の部分がなければこの歌全体ですね。😊)



そうそう、40年も前に遠い大陸で夏の短い間過ごした家がGoogleマップで見つかりました。


今まで番地まで入れて検索してもどうしても行きつかなかったのに、何故か今回はちゃんとヒットしました。

画像の最終更新はいつなのかわかりません。

もし、最近のものだったら、街を襲った大規模な山火事にも燃えずに残っていたことになります。


残念なことに人物は誰も映り込んでいなくて、ガレージのシャッターも閉まったままでした。

窓もガラスの反射で家の中も見えません。


だけど家はあの頃と変わらない姿でした。

アルバムを開けばちゃんと写真があるのに、こうしてインターネットを使ってみると違う感慨を覚えるっておかしなものですね。



最近読んでいた小説を通じて、私が小さい頃よく遊びに行っていた公園が宮本武蔵の墓所だったと知って驚愕😱しました。

兄に言ったら「知らなかったの?」と笑われました。

だって私当時3〜4歳だったじゃない。

それで、その公園を検索してみたら再整備されていて思い出の景色とは随分変わっていたことから更にいろんなところを探しているうちにこんな記事を書くに至りました。



思い出語りばかりするようになったらもうトシですねぇ。