夜になり、寒さが一層増してきて、支給された毛布1枚では、寒さによる震えを止める事が出来なかった。
 
とにかく、寒さとの闘いだったように思う。
 
※この時は、自分達の周りの状況しか分からず、後に、あの寒い夜を、着の身着のまま外で過ごした方も居る事を知り、とても辛かっただろうし、毛布を支給され、屋内で過ごす事が出来たのに、寒い寒いと言っていた自分が情けなく思いました。
 
時計も止まっており、時間が何時なのかも分からず、自分の予測だと19時~20時くらいだったと思う、私達の教室に居る誰かが、ラジオを教室の真ん中に置いてくれた。
 
ラジオから、被害状況を伝えるニュースが流れていた。
 
馴染みのある地名とともに、200名の遺体が…と聞こえてきて、その遺体の数が、どんどん増えていって、何が起きているのか分からず、とても怖かった。
 
ラジオから聞こえてくる地名は、どこも海沿いで、今日母とカラオケに行こうとしていた地名もあり、津波被害があった事は理解出来たけど、何でそんなに大多数の遺体が??と、状況が全く分からなかった。
 
避難所になっている学校の教室で、ラジオのアナウンサーの緊迫した声を聞きながら、座っている事しか出来なかった。